君が袖振る
龍太が受け取った一枚のはがき。それはたったそれだけだった。
しかし龍太には、ここに添えられてある歌が、どういう意味なのかが解らない。
龍太は図書館に行き、調べてみて、その意味を知る。
それは、額田王(ぬかたのおおきみ)が元夫の大海人皇子(おおあまのみこ)と別れ、新しい主人となった天智天皇を、恋い待ち焦がれる歌だった。
綾子は額田王の歌を借り、多分龍太に伝えたかったのだろう。
「私、結婚するから、毎夜その主人を待つ身・・・・・・龍太君は、私のことを、一生の人と思っていてくれてもいいけれど、もう私の目の前には現れ出てこないでね」と。
こうして龍太は、その歌の意味する所を理解し、何か大事なものを失ったような気にもなったが、その反面綾子のそう願う気持ちが痛いほどわかった。そして、そのようにしようとも納得し、もう綾子の事は忘れることとしたのだ。
だが、この二人の縁は不思議なものだった。その三年後の同窓会で、綾子と龍太は再会をしてしまう。
思い出せば、高校二年生の初夏、綾子と龍太の二人は紫野を望む高台にいた。
茜さす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る
綾子は龍太に背を向けて、そんな万葉の碑に見入っていた。
そんな綾子は、龍太にいきなり後ろから抱き締められ、振り返させられた。そして熱いキスを、龍太にされてしまった。
二人は、そんな未成熟でまだ青い時代へとタイムスリップしてしまった。
「なぜ私を、もっと強く、そして最後まで奪ってくれなかったの?」
綾子は龍太にそう聞いてみたかった。