君が袖振る
今、龍介には那美子という婚約者がいる。
那美子は同じ高校の二学年下の女学生だった。
龍介は高校時代の那美子を知らない。
そして、那美子も龍介のことを知らないだろう。
会社に勤め出してから、初めて知り合った。そして、その後三年間付き合ってきた。
那美子はいつも沈着冷静だった。
血気盛んの龍介を、いつもふわりと包み込んでくれてきた。
龍介は、那美子が一番感覚的に合うと今は思っている。
こんな那美子を、もちろん愛している。そして、これからも一緒に人生を歩んで行けたらと思っている。
だが不埒なことに、独身生活をしている龍介の心の隙間に、時々綾乃が入ってくる。
龍介は時として思うことがある。あの若い頃に、もっと積極的に綾乃を求めておくべきだったのかも知れないと。
そうすれば、きっとまた違った人生があったのだろう。
しかし結局は、綾乃に『一生の人』だと告白したままで、長い年月が経ってしまった。龍介は、そんなことを思い巡らしながら、また画面へとゆっくりと視線を落として行った。
そして、作家・紫野が書いた投稿小説・『君が袖振る』を、さらに先へと読み進んで行くのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
綾子は龍太から受け取った恋文を、そのまま日記に挟んだままで保管していた。
龍太とは、それ以上のことは何も起こらず、時は流れて行った。そして二人は高校を卒業し、綾子は専門学校へ、龍太は大学へと別々の道を歩んだ。