君が袖振る
船岡山の阿賀神社からは、額田王(ぬかたのおおきみ)が詠った紫野、その蒲生野が一望できる。
そして、そこに万葉の碑がある。
茜さす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖振る
綾子はこの碑の前で立ち止まって、じっと見入っている。そんな綾子を驚かすように、龍太が後ろから突然聞いた。
「なあ、綾子、 将来の夢は、何なの?」
綾子はそんな質問を肩越しに受けながら、振り返りもせずに答え返す。
「そうね、作家かな・・・・・・作家になりたいの」
「ふーん、作家か、綾子はその系統なんだ」
龍太はまるでわけがわかっている風に感心している。だが、その実はチンプンカンプン。
さらに龍太がカッコを付けて、興味ありそうに聞く。
「ペンネームは、どうするの?」
綾子はそう突然に聞かれても、未だペンネームまでは考えていない。
「まだ決めてなかったわ」
そう戸惑いながら、目の前の碑の歌の言葉を見て、少し詰まりながらも口に出してしまう。
「ペンネームはね・・・・・・紫野にするわ。そう、私決めたわ、紫野よ。龍太君もこの名前好きでしょ」
「ああ、好きだよ、額田王みたいに、いろいろハラハラしたりで、だけど、それって面白いかもな」
龍太が高校生らしからぬことを吐いてしまった。