映画レビュー
ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン『雨に唄えば』
映画というものが、(1)映像性、(2)音楽性、(3)文学性、から構成されているとするならば、これら3契機のかかわり具合によって、個別の映画の特徴を記述することができるはずだ。
私がこれまで映画に対して抱いていた先入見とは、以下のようなものだ:映画にとっては文学性こそが至上である。映像と音楽はそれらがあいまって文学性を創出することにより調和の取れた映画が出来上がる。つまり映像性と音楽性の結合により、高次のものとしての文学性が指示される、そのような諸契機の関係が、映画の典型的な構造である。
しかし、この映画は私のそのような先入見を打ち破るものであった。つまり、この映画では、映像性と音楽性が、文学性に従属する下位のものとしてではなく、それ自体独立のものとして文学性と等位に位置していた。それはこの映画がミュージカルだからである。
この映画は、ストーリーによる文学的感興よりも、歌の美しさ、ダンスの美しさを重視している。それは音楽性と映像性の重視に他ならない。そして、歌やダンスは、必ずしも文学性を志向していず、それ自体として独立に音楽的感興、映像的感興を惹起しようとしている。
この映画は、映画に文学しか見出さないような愚鈍な観衆に、映画のミディアムである映像と音楽の独立性を再発見させるものだ。