映画レビュー
クラレンス・ブラウン『愛の調べ』
鑑賞者にとっての「音楽の現在性」の意味を変革する映画。映画の特権は、人物の肉体・動作・表情・肉声を、視覚的・聴覚的、そして現在的に示すことができることだ。この映画は、シューマンによって現在的に生きられた時空間を呈示している。
この映画を観た後にシューマンの音楽を聴くと、音楽の現在性の意味が変わっていることに気づく。それまで音楽の現在性とは、単に作品が現に奏でられている、その程度の意味しかなかった。ところが、この映画を観て、シューマンの全人格的・肉体的なあり方が現在的に示されると、シューマンの曲を聴いているときにシューマンという人間もまたともに現在しているように感じられるのだ。
つまり、作曲家についての映画を観る前の音楽の現在性とは、単なる作品の聴覚的現在性にすぎない。だが、作曲家の生き様を描いた映画を観たあとには、音楽の現在性は、作品と作曲家とが混然と融合した有機体の、視覚的・聴覚的・人格的な現在性に変化する。シューマンの曲を聴くと、映画でのワンシーンが心に浮かぶ。シューマンの人間性に触れることができる。そのような音楽鑑賞体験の変革を、この映画はもたらすことができる。