映画レビュー
ジョセフ・ロージー『パリの灯は遠く』
この映画には平面、あるいは静止状態が多く登場する。静止画は典型的には絵画だが、それは一つの状態を区切りとり、持続させ、その状態が固定してしまったことを知らしめる効果をもたらしている。それに対して、電車の移動、警官の移動、バスの移動などは、それまでの状態から新たな状態への変化を示しているように思える。
主人公は画商を営んでいるが、ある日ユダヤ人向けの配布物が届く。その配布物は静的な印刷物であり、その固定性によって主人公が罠にはめられたことが固定される。警察が主人公の家を捜索するため動き始めたとき、時計台の針へとカメラのアングルは向かう。そこでも、主人公がユダヤ人として扱われることが固定されたことを示していると言えよう。そして、もう一人のロベールと自分が似ていると言われた後に鏡を見るシーン。鏡の中に固定化された主人公はもう一人のロベールとの同一化が固定される。そして、もう一人のロベールが遂に発見されて落着したと思われた時、主人公の自宅で取り出される一枚の絵。学者らしき人物が書物を開いている絵だが、それは主人公がもう一人のロベールを探求する営みを示すと同時に、それが決着したことを示している。
画面で何かが動いているとき、そこには三次元の空間が広がり、映画の世界はフレームを越えて無限に広がっていく。だが、画面が静止しているとき、そこには二次元の世界だけがあり、映画の世界はフレームの内部に閉じる。三次元の広がりの中で物語は進行していき、その決着が二次元の閉ざされの中で確認される。そのような映画効果を十分に利用した作品だと思う。