音楽レビュー
ブルックナー『交響曲全集』
ブルックナーの音楽は、呼びかける音楽というよりは呼びかけられる音楽だ。不安なまなざしで、攻撃的に、外向的に、半ば苛立ちながら、人に呼びかけ人の反応を待つという音楽ではない。むしろ、些細な埃の一つ一つ、そういう小さなものの無垢な呼びかけに、誠実に、愛情を持って、礼節を保って応えていく、そういう音楽である。
一つ一つの音は純粋さを保ち、かつ敏感であるがゆえに、不純になり放縦になる手前でその敏感さゆえに自滅する。音の伸び方にためらいはなく、中庸を心得た成熟した動きで音楽であることを楽しんでいる。何か内面的な真実へと回帰するわけでもなく、かといって外面的な混沌へと突入するわけでもない。それらの中間に漂う官能的で倦怠に満ちた波の中に、彼の音楽は自足している。
彼の音楽は上昇することは上昇するが、上昇した地点がいつの間にかもとの地点になっている。同じく下降もするが、いつの間にかもとの地点にいる。つまり上昇や下降は虚構でしかなく、彼の音楽の本質はいつも中心にとどまっているのだ。だがこの虚構は巧まれたものではなく、彼が音楽と向き合うときに、一方で音楽の可能性によって散らされ、他方で音楽の本質によって凝集する、その「散らされる」という可能性の側面が、まさに可能的なものとして虚構になったにすぎない。逆にいえば凝集の側面は真実なのである。