音楽レビュー
9mm Parabellum Bullet『Dawning』
9mm Parabellum Bulletの音楽を聴いていると、とても「汚れている」と感じる。彼らの終末を告げるような情熱的な旋法の使い方を聴いていると、彼らはその汚れで苦しんでいて、その苦しみを発散するために音楽を奏でているかのように思えてくる。だが、彼らの汚れは、罪であるとか悪であるとか傷であるとか、そういうものよりももっと基本的なもので、いわば彼らが生きていく上で否応なく積み重なっていく彼らの固有性のようなものだと思う。一人一人は決して他人から理解されずに、生きて傷ついて情熱を何かに注いでいく。そのような、他人と分かり合えない次元での人生の積み重ねが、そのまま彼らの汚れとなるのである。彼らは固有性や私被性が鬱陶しくてたまらないのだ。だからしきりに終わりが到来することを熱望する。世界を丸ごと自分の手中に入れて、自分が世界自身となり、世界の中に固有性を散逸させることを切望する。
だから、彼らは固有の人生に終わりをもたらしたい。だが一方で、そのような汚れた自分をこよなく愛している。彼らは端的に生きていくということによって積み重ねられる固有の歴史の終焉を望むと同時に、その歴史に対する愛着を捨てきれない。この葛藤の中で、葛藤自身が新たな汚れとなり、彼らの歴史を次々と継ぎ足していく、その葛藤を何か違った次元のものにするということ。人生を終らせたいと同時に人生を愛しているという葛藤から何らかの飛躍をして、そこにその葛藤すらも消滅してしまうようなフィールドを作るということ。彼らの音楽の存在意義はそこにあるのではないだろうか。