音楽レビュー
the cabs『回帰する呼吸』
the cabsは超越しない。まず、上方への超越、つまり、自己を超越して俯瞰したり自己を超越して克服していったりしない。次に、下方への超越、つまり、自己を基礎づけたり世界を理論づけたりそういうこともしない。だから、彼らの世界のフラットな面に彼らの生命は集中し、圧縮される。歌詞を読んでみると、「僕と君」との命のやり取りのような濃密な世界と幻想的な風景が繰り出されていて、それはまさに、彼らの超越しないフラットで濃密な世界を表しているといえる。音楽は過剰なまでに技巧的で過剰なまでに美しく、それは彼らが超越により分散せず、生命を音楽に集中しているからだと思われる。
だが、彼らは超越しない代わりに様々なものと溶け込んでいく。一番は「君」と溶け込むことであろうが、そこには、汲みつくせない他者であるとか、無償にそそぐ愛であるとか、そういう超越的な発想は出てこないのである。あくまで、風景や「君」と互いに依存し合い、同化し合い、そこでいっそう濃度を増す自らの生命に苦しんでいるのだ。
だから、彼らの過剰なまでの激しく美しい音楽は、その凝縮された世界を希薄化する運動だととらえてよいと思う。彼らの生命・世界はあまりにも濃度と密度が高いので、それを癒すためにそっくりそのまま消費する必要があるのだ。濃度と密度が高い生命を消し去るためには、濃度と密度の高い音楽が必要だ。そのような音楽で、超越せずあまつさえ世界や「君」と溶け合い濃度を増してしまった自らを希釈しているのである。