音楽レビュー
FoZZtone『INNER KINGDOM』
歌詞付きのロックを考える場合、ミュージシャンにおいて、まず素敵な曲が思いつかれてその後にそれにふさわしい歌詞を載せていくのか、それともまず素敵な歌詞が思いつかれてその後にそれにふさわしい曲が作られるのか、それとも、表現したいテーマが念頭にあり、それを表現するために歌詞と曲が並行的に作られていくのか、様々な場合がある。FoZZtoneの場合は言うまでもなく最後のパターンであり、それぞれの曲のテーマが強固に設定されてあり、それに基づいて歌詞と曲が前後問わずに成立していくのである。
さて、曲のテーマといったが、FoZZtoneの曲のテーマは、彼らの内部に蓄積していった層のようなものから発している。層、といったのは、彼らが扱うテーマが、時間的な堆積によって厚みを得たものであるからだ。だが、層、というのは本当は適切ではなく、いわば、雑多に点在している不連続な塊の群れが、様々な組み合わせを取りながら緩やかに連携している、そういうイメージのほうが適切かもしれない。いずれにせよ、人間がその成長の過程で不連続的に獲得していく知識や悟りのようなものの厚み、それを正しく曲のテーマに据えているところにFoZZtoneの最大の魅力があるのだ。
だが、そのような蓄積は、容易に称揚される宝などではない。彼らはその蓄積によって拘束されてもいる。歳をとっても若者のような内容を歌っているミュージシャンはたくさんいて、そういう人たちはたいてい曲が先行して歌詞は後回しなのだが、FoZZtoneはもはやそのような自由さを満喫することができない。確かに、若さや勢いだけで書いているような曲も見受けられるが、それらの曲にも必ず先述した堆積の余波が及んでいるのであり、彼らは成熟から逃れられないのだ。
だから、彼らの楽曲は、雑に分けると三つに分けられる。成熟した自分たちをそのまま歌う曲に、成熟した自分たちを前提にさらに深化していこうとする曲、そして、成熟してしまったにもかかわらず、その成熟から逃れるように若さを発していこうとする曲。いずれも、人間の時間的な堆積のネットワークによって拘束されることを決して悲観的にとらえずに、そこからより良い音楽を作っていこうという姿勢は共通している。