音楽レビュー
THE NOVEMBERS『To(melt into)』
THE NOVEMBERSがここまで執拗にいびつな音楽を作り続ける理由は、世界、ひいては彼ら自身の音楽というものが本物か偽物かわからないことによる絶えざる動揺に何とか打ち勝とうとするからだろう。「永遠の複製」という曲からもわかるように、世界を流れる時間自体も複製された偽物に過ぎない、そして彼らの喜んだり悲しんだりすることも偽物に過ぎない、その悲哀に悪意でもって打ち勝つのである。そして、「日々の剥製」にあるように、本当に本当を始めようとする。
ところが、問題はそう簡単ではない。彼らは、複製だと思われた世界を偽物だと決めつけることができないのだ。偽物が偽物と分かればそれほど簡単なことはない。すべてが偽物だとわかればただ諦めればよいのだ。同じように、本物が本物だとわかればそれほど簡単なことはない。本物をやりさえすればよいのだ。だが、彼らの不安は、本物と思われているものが実は偽物に過ぎないのではないか、偽物だと決めつけていたものが実は本物だったのではないか、というところにあるように思えるのだ。
ところで、世界や自分たちが本物か偽物かなんて決定できるのだろうか。そもそも、本物と偽物の定義すら複数あり得るから、ある意味本物でも別の意味偽物なんてことは普通にある。そこで彼らのとった苦渋の選択というものは、とにかく執拗に音楽をかき鳴らす、その執拗さや継続や悪意の強さによって生み出されたものに、その執拗さや継続や悪意の強さ故の本物さを付与することであった。彼らの音楽がこれほど苦しみに満ちて聞こえるのは、本物と偽物のはざまで不安を抱いているからであると同時に、その動揺を克服する悪意の強さによって彼らの音楽を本物にしようとしているからだ。