音楽レビュー
NICO Touches the Walls『Humania』
NICOの世界観は極めて相対的だ。他人との関係や社会との関係、自分との関係の中で翻弄されている自分を歌う。そこには絶対的な世界とか真理とか神とか、そういうものは余り入りこまずに、仮に絶対的なものが入り込んだとしても、彼らは基本的にそれを相対的にしかとらえることができない。
彼らの基本にあるのは、他者との関係で落ち込んだ自己を鼓舞するという、しかもその鼓舞の仕方が「俺は負けない」的な強固な意志に基づくものであるという、そういう姿勢である。ところが、そのような、関係→デプレッション→鼓舞、という回路は世界という絶対的なものによって予定されている回路であり、その予定調和的なところでいくら粋がったところで神の掌の上に踊っているにすぎない。
つまり、彼らは絶対的な思考が欠如していることによって相対的に世界に踊らされているだけであり、その意味で彼らは世界に対して敗北に敗北を重ねているにすぎないように思える。優しめの曲でも激しい曲でも、すべては世界によって予定された音調に過ぎない。
ところが彼らも多少は絶対的な所へとその予定調和的な回路を破っていこうとする局面を抱いており、それは例えば次のような個所だ。
どうせ空のこの頭を My Bicycle ゼロに戻してよ
My Bicycle まっさらな夢を見させてよ
――「バイシクル」
この、相対的なものによって雁字搦めになった頭を、ゼロという絶対的な次元へと回帰させるということ。そのゼロという絶対的な次元において、初めて彼らは他者など様々なものたちとの相対的な関係から逃れて、世界や真理などの絶対的なものについて直感しあるいは思考し、それまで操作されるにすぎなかった地位から逃れて自らを絶対的に反省し、世界を操作する方角へと歩み始める契機になるのではないだろうか。