音楽レビュー
ニルヴァーナ『ニルヴァーナ・ベスト』
否定とは運動である。そうあるものからそうでないものへと運動する。距離を取る。それが否定の運動である。ニルヴァーナは、痛いとか寂しいとか安っぽいとか、そういう自己を発見するが、その発見は常に瞬時の移動を伴う。健康で充実して価値のあるものから、彼らは一気に身を引くのである。だが、否定はそれだけでは終結しない。否定には、そこからさらなる否定や肯定がつながっていくのである。否定の否定、否定の肯定、などなど。ニルヴァーナに見てとれるのは、「否定の肯定」である。肯定とは逆に動かないことだ。自らが居る位置において自らを充実させ、固定させ、拡大させることである。例えば「痛み」という否定的なものに対して、それを治療しようとするのは否定の否定である。だが、ニルヴァーナはそのような否定の否定には向かわない。むしろ、痛みがあったら、その状態に怠惰に埋もれていくのである。彼らの重苦しく憂鬱でどんよりしたメロディーは、否定をいつまでもなぞり続けている。つまり、否定という運動をいくらでも繰り返していくのが彼らの「否定の肯定」なのである。そこにおいては、否定が充実し拡大され、否定のそこから恐ろしいほど静かな風景が繊細に見てとれる。この否定の肯定の怠惰な停滞、それを主張するともなくなんとなく漏らしてしまう。ニルヴァーナを聴いていて思い描かれるのはそのような風景だ。