音楽レビュー
Radiohead『Hail to the Thief』
このアルバムを聴いていると、どことなく、自分の感覚や、音楽そのものに対する敵意のようなものを感じてしまう。一つ一つの音が、どれも少しだけ余分に「長い」のだ。この長さは、憂鬱や倦怠による間延びなどの受動的なもののようでもありながら、何か、適切な長さのものに対する敵意や反抗を感じさせる。この余分な長さの方が、実は真実の長さであって、適切な長さと思われているのは、実は偽物の長さなのだ、と訴えかけているかのようだ。
一曲目の「2+2=5」に端的に表れているように、通常の論理から余分に溢れるもの、通常の価値観からどこか外れてしまい異端となるもの、それこそがRadioheadの「長さ」なのだ。この長さは周縁の無限であり、周縁であることにより、逆に中心を敵対するものとして照射する。そして、この敵対もどこか投げやりなのだ。Radioheadは中心から積極的に周縁へとやってきたようでもありながら、まっとうな努力をしていたら受動的・必然的に周縁へと来てしまったようでもあるのだ。その戸惑い、積極的でも消極的でも、偶然的でも必然的でもあるような長さ、それが、何物にも回収されない一種の純然たる他者として彼らの楽曲を支配している。
彼らの音楽は、正当な音楽への懐疑でありながら、その懐疑への懐疑でもあり、さらに懐疑すらしない憂鬱や倦怠でもある。そのような分裂により、中心を指し示したり、逆に周縁にとどまったり、不安定な苛立ちを感じさせもする。絶望すらできないという絶望、適切に憂鬱になれないという憂鬱、不必要に元気な倦怠。これら煩わしい分裂が、彼らの音楽の「長さ」には宿っているのだ。