鐘が鳴る前に
「翔、何ボーッとしてるの。トマト落ちたわよ」
紀子の声で我に返る。
「あ、ごめん」
膝の上に落ちたトマトを頬張る。
「ねぇ母さん」
「ん?」
紀子が箸を止める。
「もし、もしだけど、母さんは昔に戻れるって言ったら、いつに戻る?」
変に思われるかもしれない。でも後悔はしたくなかった。
「私は、独身の頃かな。バブルの絶頂で、何もかもがハイテンションだった頃。あの時は楽しかったぁ。……にしてもいきなりねぇ」
「いやいや、今日友達と話題になっただけだって。父さんは?」
「わしは、母さんとまだラブラブだった頃やな。あの頃はよかった。膝枕してもろたり耳掃除やら……」
「自分何か勘違いしとるんとちゃう?」
紀子が洋介を睨む。関西弁になった紀子を怒らせるのは得策ではない。
「すんまへん!」
その様子がなんだかおかしくて、つい声を上げて笑ってしまった。つられて2人も笑う。そういえば笑ったのって久し振りだっけ。いつも使わない筋肉の痙攣がそれを証明していて辛かった。
「でもね、」
紀子が続ける。
「私はなんだかんだ言って今がいいな。父さんはオマケだけど、3人で居られるのが一番楽しいもの」
洋介も赤い顔で頷く。
「母さんの言う通りだ。メタボになろうが糖尿病になろうが、俺は母さんと翔とビールがあれば生きていける!」
ガハハハと豪快に笑った。
「父さん、冗談に聞こえないから止めて……」
翔はもう一度くすりと笑った。どうしてだろう、トマトの色が、キャベツの色が、家族の顔が今までと違って見える。
『蛍光灯換えた?』と聞こうとして止めた。理由は分かった。どうするべきかも、分かった。
「ごちそうさま」
それだけ言い残すと翔は駆け足で2階の自室へと向かった。