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鐘が鳴る前に

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 出会った時と同じように、少年は窓からの光を浴びていた。
 電気は点けなかった。影になっている少年の表情が照らされるのが何故だか怖かったのだ。
「決まった?」
 目だけが光っている。その瞳もまた、髪と同じ金色に見えていた。
「決まった」
 少年がこちらを向く。 
「そう」
 少年は笑っていた。
「俺、は」
 一度唾を飲み込む。この言葉で全てが終わる。金曜日のSHRの「さようなら」の声と同じだ。一週間が終わるのだ。
 この一言を言う為に今まで生きてきたような気さえした。
 この一言は、重い。
「僕は過去には、行かない」
 目の前で少年の目が見開かれていく様子がスローで見られた。
「僕は、まだ『今』でやりきってない。いじめられて、友達なんて1人しかいないけど、この現在が」
 言い終わる前に気道を塞がれた。
 僅かに見えた少年の目には深く濃い衝動が刻まれている。 
 よろけた拍子にベッドに押し倒される。息が出来ない。
「なんだよ! くだくだ悩んで結局行かない? ふざけるなよ! 返せよ時間! ……なんだよ……」
 少年の手が緩んだ。しかし翔は手を払おうとはしなかった。
「最後まで言うよ。僕は、この現在が、好きだから。だから僕は過去には行かない」
 少年の手に翔の手が重なる。爪が首に食い込んでいるが、それはそのまま少年の想いなのだ。
 痛い。
「こんなことになるなら、どっかの博打好きのおっさんにでも押し付ければよかった。お前を選んだばっかりに、お前を……。また……」
 少年の真後ろにある月の光の影になっていて見えないが、翔には少年の表情を容易に想像することができた。
 自嘲じみた笑いを浮かべた顔。後悔して、自分自身を憎んでいる顔、
 翔が、いつもしてきた、顔。
「君は、誰 」
 ずっと聞きたかった。自身を「天使」と名乗った少年だが、それは嘘だと分かっていた。彼の表情は、天使というにはあまりに人間らしい。
「僕は……、ごめん。天使なんかじゃない。どっちかって言ったら悪魔かな。このチケットを売りつける、悪魔」
 翔の顔に液体が落ちる。予想外にそれは冷たくて、さっき感じた団欒のぬくもりさえ吸い取られていく。
「代償って何なんだ。知ってるんだろ?」
 少年がゆっくりと口を開いた。
「死んでも天国にも地獄にも行けないんだ。僕みたいにね。僕は、生きてるときに親を殺した。そのせいでどっちにもいけなくなったんだ。あの世に情状酌量とかって言葉はないらしい。それでいつか、誰かに言われたんだ。『このチケットを人間に売れば、天国に行かせてやる』って!だから待った!何百年もずっとずっと真っ暗な中1人で! 今度は一体どれだけ待つの!? 何百? 何千? じいちゃんに会いたい、ばあちゃんに会いたいよ。僕はどうすればいいんだ!!」
 翔の首にあった手はいつの間にかシャツに移動していた。胸ぐらを掴まれている。
 喋れなかった。少年がどれほどの後悔を積み上げてここまできたのか。自分はその積み木をまた0にしようとしているのか。
 しかしここで「過去に行く」と答えてもそれは傷の舐め合いでしかないのではないか。
「いじめられて、友達だって一人もいない。こんな辛い世界なのになんで! なんで行かない……って」
「言っただろ、僕はこの今が好きだから。それと、友達。いなくなんかない。いるって言ったろ? 君が、いるって」
 少年はポカンと口をあけた。少年の涙が顎を伝って翔のシャツに染みをつくる。
「君は、やろうと思えば無理にでも僕にチケットを渡すことができた。それをしなかったのは君が、」
「僕は悪魔だ。天使じゃない。……優しくなんかない」
 月は気付けば少年の背後から移動していた。今は少年の顔がはっきりと見える。
「ごめん、僕、貰ってばっかりだ。大切なものばっか貰っといて君に何一つ返せてない」
 こんな安っぽい言葉しか紡ぐことのできない自分に嫌気が差す。
「僕が、売りつけたのが悪いんだよ。誰がどう見たってそう言うに決まってる。他人捨てて、自分だけ幸せになろうっていうのがおかしいんだよ。僕は、ずっと、ずっとあそこにいればいいんだね」
 少年の目に生気が宿っていない。諦めに似た笑みを浮かべている。
 その時、翔は異変に気付いた。少年の向こう側にある窓が透けて見えているのだ。
「お、おい、透けてるぞ」
「あぁ、僕は7日間しかここにいられないんだって。もうすぐ12時だろ? ここから消えてなくなるんだ。シンデレラと一緒」
 ハハ、と力なく笑うとそのまま息を吐き出した。
「ねぇ、翔。絶対にこっちに来ちゃ駄目だよ。絶対に罪を犯しちゃ駄目だ。だからさ、天国で待ってて。僕もいつか絶対に行くから。その時は僕に天国を案内してよ。ね?」
 縋るような瞳が翔を見つめる。
 少年の色はどんどん薄くなり、その涙と同じくらいになった。
「うん、絶対。絶対だからな」
「今度は、誰も傷つけない方法見つけるよ」
「忘れるなよ。お前は、君は僕を救ってくれた。ありがとう。……君は罪人じゃないから」
 少年は深く頷いた。
「翔は知ってるよね、シンデレラの結末」
「……、主人公と王子はまた会えるんだろ?」
 にやりと笑った翔を見て少年も笑った。ひどく脆い、砂の城の様な笑みだった。
 そして少年は月の光に同化した。
 ベッドは音を立てて少年の質量を吸収し、翔の制服の染みも消えた。
 時計の針はまだ角度を残している。
 翔はすっかり乾いてしまったシャツを引っ張って独り言を吐いた。
「……、靴くらい残していけよ」


作品名:鐘が鳴る前に 作家名:さと