手編みのマフラー
かろうじて腕の時計を見ることができた。まだ八時前だが、空腹感にさいなまれている。腕も掌も痛くなって来た。谷底まで墜ちて行けば、どうなるかは判らない。
午後八時半になっても、登山者は通らなかった。それにしても、見える星の数は夥しい。流れ星を数回見た。音は、一切聞こえなかった。
間もなく午後九時になろうとする頃、矢沢が試しに叫んでみると、通り掛った登山者からの返答があり、やがてザイルが降りて来て救助された。
「ありがとうございます。痛いのは手だけです」
「殆ど無傷だなんて、奇跡です」
背が高くて体格の良い青年だった。
「いい歳をして、とんだ恥さらしをしてしまいました」
「でも、相棒が体調不良で帰ってしまったので、調度良かった。本当は単独行は好きじゃないんです」
吉村勇と名乗った青年は、矢沢の足元を懐中電灯で照らしながら先を歩いた。下山の予定は明日の午後だと云った。