夕陽の色は再生の色 -01
あきれた顔の忍の手をひき、藍は子供のように走り出した。
藍はおおきく息をはきだし、空になった容器をトレイの上においた。
「あー、おいしかった」
忍はマグカップをもったまま、くちを半開きにして、藍を見た。いつものことだが、いつ見ても藍の大食いにはおどろかされる。朝食をとってないとはいえ、朝っぱらから食べるボリュームではない。彼女はまたたくまに、とんかつ定食ごはん大盛りをきれいにたいらげた。男の忍でさえ、朝っぱらから、そんなものをそんなには食べられない。
「ケーキと紅茶、まだかなあ…… あん?
米村、なにじろじろひとの顔みてんの? 変? ごはんつぶついてる?」
「ああ。変だ」
「なに? どこどこ? どこについてるの?」
「なんで朝っぱらからそんな油っこいものくえるんだ? それもごはん大盛りで」
「うーん。健康だから…… じゃ、ないかな」
「いっつもおもうんだけど、その大量にくったものはどこいっちゃうんだよ? 肉にはなってねえよな?」
「なぜ視線が胸に行く? どーせわたしはプチ乳ですよ。中学生のゆりちゃんよりちっちゃいですよ」
「しっかし不思議だよな。それだけくってれば、でぶっちょにならないまでも、グラマーにはなってるはずなんだけどな」
「うーん。わたしもそれがわからない。解明してくれ」
「うーん。この問題は現代の科学では解明できない。Xファイルにでもいれとこうか」
「ゆりちゃんって、けっこうたべんの?」
「それも謎なんだ。あいつはあんまりくわない。朝だってトースト一枚きりだし。昼はなにくってんのかわからんけど、夜もあんまりくわない。あのぐらいの歳だと、間食とかけっこうするだろ? 一応女だし。でもあいつは間食は全然しない。ひとがケーキとかくってると、気持ち悪そうな顔するくらいだからな」
「そうなの? それなのにあんなにむちむちしてるの?」
「ああ。謎だよ」
「ゆりちゃんの食生活まねたら、グラマーになれるかな?」
「世間の女はやせてるくせにまだやせようとしてるのに、おまえはふとろうとしてる。みんなうらやましがるんじゃねえの」
「ねえ?」
藍が急におもいつめた顔をした。
「な、なんだよ?」
「やっぱ、こっちのほうが好き?」
藍は胸の前でメロンをもったように両手をゆすってみせた。
「べつに……」
「わたし、全然気にしないから、はっきりいって」
「おまえが気にしようが気にしまいが、どっちでもいいんだけど」
「でも、どちらかといえば、やっぱおっきいほうがいいでしょ? もみがいがあったほうが」
「べつに。おまえ、なんか変だぞ。なんかわけわかんない知恵、だれかにつけられたのか?」
「べつに。もむとおおきくなるって、どのくらいで効果あらわれるのかな?」
「さあね。水泳やるとおおきくなるって聞いたことあるけど」
「わたしって、体質的なものなんだよね。シリコンいれちゃおうかな」
「わけわかんねーこといってるな」
「わたしがこんなになやんでるの、わからないの」
大声をだしたわけでもないのに、忍の顔がひきつるほど、藍の語気には迫力があった。藍はうっすらと目に涙をうかべ、まばたきもせずに忍をみつめた。
どうしようかとおもってる時、ウエイターが藍の注文したケーキと紅茶をはこんできた。
「ど、どうしたってんだよ、いったい?」
忍はウエイターが立ち去るのを待って小声でいった。
「いっただっきまーす」
藍は満面に笑みをうかべて、ケーキをひときれ食べた。さきほどの憂いをおびた、おとなびた、というか、年相応の表情はまったく消え去り、いつもの無邪気で溌剌とした藍にもどっていた。まったく子供のようだった。いままで泣いていた子供が、次の瞬間には笑っている、そんな感じだった。
「ここのケーキ、おいしいんだよ。ひとくち食べる? でもひとくちだけだからね。ほら、あーんして」
「なんだそりゃ。悩んでるんじゃねえのかよ」
「悩んでるよ、ものすごく」
「とってもそんなふうには見えないんですけど、今は」
「そお? ほら、あーんして」
忍はついくちをあけてしまい、ケーキをおしこまれた。
「ね? おいしいでしょ? ここはケーキだけはいけるんだから。ケーキだけは」
「強調しなくていい。強調しなくて」
忍は藍の大声に、あたふたとあたりをうかがった。なにげなく目をむけた先の女性と目があった。
忍は目を見開いた。
の、のぞみさん……
いきつけのスナックのママ、下山のぞみが、微笑みをうかべ会釈した。まだ若すぎるくらい若いのに、ちいさいながらもスナックを経営する、少女のおもかげをのこしたやさしげな女性。彼女は奥のテーブルにひとりでいた。マグカップ片手に、おおきな本をひろげていた。絵を描くのが趣味といっていたが、その関係の本らしかった。
忍も藍に気づかれないように、くちびるだけで微笑みかえした。
「なに見てんの?」
忍はとびあがっておどろいた。
藍はいぶかしげに、忍の目がむかっていた方を見た。
「べ、べつに」
忍はあわてていった。
「ふーん。そお」
藍は笑っているような怒っているような顔でいった。
「なんだ、その顔は?」
「べつにい」
「なんでもないのにそんなふくれっつらするか?」
「なんでもないとはいってないけど」
「だったらなんだよ?」
「あんまり米村忍君がだらしない顔してるからさ。いい女でもいたのかな、なんてね」
「知り合いがいたからさ」
「どんな知り合い?」
「会社の」
「ふーん」
「だからなんだよ、その顔は?」
藍はしばらく、忍の心の中をのぞきこむように、じっと見た。うしろめたさを感じたからなのか、藍の視線にたえられなかった。が、意地でもそらすわけにはいかなかった。そらせばうしろめたさを肯定したことになる。断じてそんなことはない、とおもいたかった。
「会社のひとをみかけたくらいで、そんなだらしない顔すんの」
「どんな顔だよ? そんな変な顔してたか?」
「えーえ。しっかりとね。元村たちがいってたことは嘘だったんだな」
「なんだそりゃ。元村たちがなにいってたんだよ?」
「べつにい」
藍はわざとらしいほどのおもしろくない顔をよそにむけた。
「元村たちにきけばあ?」
「俺、そんな、甲田の気分そこねるような顔してた?」
「さあねえ」
「そんな顔してないとおもうけど……」
「あーあ。なんかおもしろくないなあ……」
「そんな顔してたかなあ」
「ふう〜う……」
藍はこれみよがしに、力のないためいきをついた。
忍はひきつった苦笑いで、藍の横顔をちらと見た。待っていたかのように、藍が顔をむけた。
「買い物でもすれば、この気持ちがはれるかなあ」
藍はわざとらしく目をふせ、ためいきまじりにいった。
「わかったよ。なにか買ってあげるよ」
「ほおー。物でごまかそうってえの?」
「おまえがそういってるんじゃねえか」
「そんなこといいましたっけ?」
「いった。遠回しに」
「じゃ、ここの支払もおねがい」
「なんだそりゃ。それは別。ワリカンだ」
作品名:夕陽の色は再生の色 -01 作家名:alaska