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夕陽の色は再生の色 -01

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 時計に日差しが反射した。忍は目をすがめ、空を見上げた。ビルにかこまれたちっぽけな空は、わずかなしみもなく、青一色にぬりつぶされていた。
 これから藍に会えるしあわせな気分を、やわらかな青がいっそうふくらませた。
 「ちょっと遠回りして行くか」
 忍は微笑みつぶやいた。
 信号が青にかわった。
 忍はギアをおとした。排気音がとどろき、バイクは野獣のように走り出した。
 目の前になにかが飛び出してきた。
 忍は奥歯をかみしめ、ブレーキペダルをふみつけた。
 「あぶねえじゃねえか! 赤だぞ、赤!」
 忍は歩行者用信号機をあごでさしながら怒鳴った。
 幼い女の子がおおきな目で、まばたきもせずに忍をみつめていた。
 「あなたを助けにきました」
 女の子はおもいつめたようなおとなびた顔でいった。
 「はあ?」
 忍はくちをあけて女の子を見た。小学校低学年くらいに見えた。
 頭のおかしい女の子かもしれない。忍は女の子をよけてバイクを発進させた。女の子はためらいもなくバイクの前に飛び出した。
 忍はあわててブレーキをかけた。
 うしろの車がけたたましくクラクションをならした。忍はミラーにむかって右手をあげた。観念してバイクを路側帯によせた。うしろの車が排気音をひびかせて忍を追い越して行った。
 忍は車のテールランプを目で追い、観念してゴーグルを引き上げ、女の子に顔をもどした。
 頭のおかしい女の子にはどう見ても見えなかった。それどころか理知的にさえ見えた。かわいらしいあどけなさとともに、おちついたおとなの女性を感じさせる、不思議な瞳をしていた。女の子はそして、気品のオーラをまとっていた。どこかの金持ちのおじょうさま、といった感じがした。
 彼女の雰囲気がいっそう忍を混乱させた。 女の子はまっすぐに忍をみつめていた。意志的なひたむきさが感じられた。
 忍は胸に圧迫感を感じた。心をわしづかみにされたような気がした。それは不快でもあり快感でもあった。郷愁に似ている感情かもしれない。なぜかせつなくて、鼻の奥がしびれたような感じがしてきた。それは郷愁ではなく、恋愛感情に一番ちかいかもしれなかった。はなればなれになっていた恋人に、ひさしぶりに会った、そんな感じだ。それも、藍にすら感じたことのない、強烈なものだった。
 そう感じた瞬間、不快感だけがふくれあがった。
 「なんだって、おじょうちゃん?」
 忍はいやな顔をあからさまにしてきいた。
 「あなたをたすけにきました」
 女の子ははっきりといった。
 さっききいたのは空耳ではなかった。女の子はたしかにさっきと同じことをいった。
 やっぱ頭おかしいんだ……
 忍は無理やり納得しようとしている自分に気づいていた。が、それで納得するしかなかった。
 彼女が異常者だと思うと、なにか不吉な予感がしてきた。真っ黒なもやに心をおおわれたような気がした。青空はかわりなく真上にあるのに、雨雲におおわれたようにあたりがくもった感じがした。
 すぐにここをはなれなければならない!
 もう一秒もここにいてはいけない!
 忍は逃げる機会をうかがった。
 女の子のおおきな瞳がゆらいだ。おおつぶの涙がもりあがり、すぐにあふれた。
 忍の胸がまたしめつけられた。息苦しくてたまらなかった。それはやはり、不快さだけの痛みではなかった。
 女の子を抱きしめたい衝動にかられた。
 それは憐憫かもしれない。あるいは……
 もうひとつのほうは考えたくなかった。それは親が子供をおもう気持ちとはあきらかに違うことはわかっていた。こんな少女にそんな気をおこすほど、自分は異常ではない。それもはじめて会った、名前も知らない、頭のおかしな女の子にだ。
 そんなことを考える自体、忍にはたえられなかった。ずっと藍だけだった。ずっと藍だけをいとおしくおもい、ほかの女性にはなんの感情もわかなかった。脅迫観念のように、藍だけを好きだとおもっていたわけではない。藍を愛することは、忍にとっては呼吸をすることのように当然であり、自然だった。赤い糸が本当にあるのなら、自分と藍は絶対結ばれていると、ずっとおもっていた。その考えが、この女の子の出現で一気にくずれてしまった。それはありえないことだ。まったくばかばかしさの極致だ。
 いったい俺はなにを考えているんだ?
 忍は自分に腹がたち、少女に怒りをおぼえた。せっかくの気持ちいい朝がだいなしだった。
 「ほら、おじょうちゃん。むこうからおかあさんがやってくるよ」
 忍は歩道のむこうをあごでさした。女の子は涙をゆびではらいのけ、つられたように歩道に顔をむけた。
 忍はエンジン全開でダッシュした。女の子が手をのばしたのが、視界のはしにはいった。が、バイクの瞬発力の前に、女の子はバイクの前に飛び出すことも、バイクにつかまることもできなかった。
 忍はほっとしてミラーを見た。少女が大声でなにごとかさけびながら、車道をおいかけてきた。車がけたたましいクラクションを女の子にあびせていた。少女は車のことなど眼中にないようだった。かまわず、車道を走り続けていた。
 しかし、女の子の足でバイクに追いつけるはずもなく、バックミラーの中の女の子は、見えなくなった。
 忍の胸のくるしさはいっこうにおさまらなかった。野良猫をどうしても飼うことができず、また捨ててきたというような、罪悪感だけではないようにおもえた。女の子が車にはねられたらどうしよう、といった、現実的なことではもちろんなかった。
 忍の頭から女の子のことがはなれなかった。女の子のかなしげな顔が、あたかもそこにいるように、目の前にうかんでくる。無理やり藍のことを考えようとしても、藍の笑顔はしゃぼん玉のようにはかなくきえてしまう。
 頭は無理やり藍のことを考え、それを消しさり女の子の顔がうかんでくることをくりかえしていた。
 からだは糸にひかれるように、藍との待ち合わせ場所にむかっていた。
 信号を直進しようとしていた忍の視界のすみに、右折車が動き出すのがはいった。が、ブレーキをかけることなど考えもしなかった。
 右折車が目の前にせまっていた。目を見開いた運転手の顔がはっきりと見えた。
 「やべ!」
 忍はブレーキペダルをおもいきりふんだ。片足をつき、リアタイヤをすべらせ、とまった。
 ふだんなら運転手をひきずりおろし、こぶしを二三発顔面にくいこませるところだが、そんなことはまったく頭にうかばなかった。なにげなく運転手の顔を見た。運転手はほっとした顔に愛想笑いをうかべ、頭を何度もさげていた。忍はなにもいわず、バイクを発進させた。





 ほんの数分前のさわやかな気分はすっかりなくなっていた。スタンドをたてるのも億劫だった。忍はヘルメットをとり、ガードレールにこしかけ、たばこに火をつけた。
 やはり女の子のことが頭からはなれないでいた。はらってもいっこうにとれないくもの糸のように欝陶しかった。女の子がここまで追いかけてこれるはずがないが、なぜかきょろきょろとあたりを見回した。そんなことをする自分がいやでたまらなかった。が、気づくとあたりに少女の姿をさがしていた。
 「ごめーん、まったあ?」
作品名:夕陽の色は再生の色 -01 作家名:alaska