夕陽の色は再生の色 -01
忍は怒りをとおりこしてあきれていった。
ゆりはふいにふっと笑った。
「ま、アイドルものしかきかないだれかさんには、このよさはわっかんないか」
「で、そのサウンドを大音響できかなきゃならないのってなんだ?」
忍はあたふたといった。
「ヒュプノボックス」
ゆりはふきだしながらいった。
「なに?」
「ヒュプノボックス」
「なんだそりゃ? アイドルグループか?」
「すぐにアイドルとむすびつけるんだから。全然ちがうの。わたしがそんなかっちょわるいのきくとおもう? ハウスだよ、ハウス」
「ハウス? はあ…… ハウスねえ…… で、その、ヒュプノってなんだ?」
「ハウスミュージックだっていってるでしょ」
「意味だよ、意味。ヒュプノって言葉の。なんか変な響き」
「ああ。そういうこと。暗示とかそういう意味。おにいちゃんそんなことも知らないの?」
「知らねえよ、そんなもん。知りたくもないわ」
忍はからだを起こし、ゆりを真顔でみつめた。ゆりはうす笑いをやめ、目を見開いた。
「な、なんだよ……」
「おかしな宗教とかに興味もってんじゃねえだろうな、ゆり?」
「宗教? なんで? なにいきなりいいだすんだよ? 気持ちわるいなあ」
「暗示とかいったから」
「関係ないの。だいたいハウスってのは、こう…… なんていうのかな…… 暗示にかかりやすくなるような音楽なの。クラブキッズたちはこういうの聞いて、ドラッグやって、安酒のんで、朝までおどりつづけるの」
「酒!? ドラッグ!?」
忍の声は思わず裏返った。その声にゆりもびっくりした。
「な、な、な、な、なんだよ、おにいちゃん……」
「おいおいおいおい! ゆり、おまえ、そんなのに興味もつなよな」
「わたしは音楽が好きなだけ。そんなのに興味ないよ、まだ」
ゆりは腕時計をちらと見て、リビングをでていった。
「まだって、おい、ゆり!」
けらけらとゆりの笑い声が廊下からきこえてきた。忍はおおきく息をはきだし、頭をふった。
忍は舌をうちならし、バイクのエンジンをかけた。全身をふるわす、心地よい排気音がとどろいた。
「まったく、エンジンとめなくったっていいじゃねえか。チョークもどせばすむことなのによお……」
忍はぶつぶつと文句をいいながら、バイクをみがきはじめた。
「お・に・い・さ・ま」
顔をしかめちらと見ると、かばんを後ろでにもったゆりが立っていた。言葉づかいも不気味だが、満面の笑みがさらに不気味だった。
「かっちょいいバイクだな」
「そうかよ」
「うん、よいよ」
忍はふたたびゆりをちらと見た。まだにこにこと笑っていた。
「なんか用か?」
「うーん…… 用といえば用かな」
「なんだよ?」
「そのかっちょいいバイクで……」
「やだね」
「なによ、それえ! まだ途中までしかいってないじゃない!」
「とっとと学校行けば? 自分の足で」
忍はそういって、ゆりを上から下まで見た。
「たまにはかわいい妹にサービスしたって、ばちはあたらないよ」
「だれがかわいい妹だ?」
ゆりは間髪いれずに自分をゆびさした。
「そんなかっこうでバイクにのろうってのか?」
ゆりは不思議そうにうなずいた。
「そんなかっこうって?」
「ミニスカで」
「え? もちろん なんで?」
「なんでって、おまえ…… 高校生ならわからんでもないけど、中学生だろ、おまえ? 中学生がそんなミニの制服きてんの見たことないぞ」
「いま見てるじゃない」
「そんな男共にサービスしてどうする?」
「そんな趣味ないもん」
「なんでそんな短いのはく? ちょっとかがむとぱんつまるみえだろ? ショートタイツとかはいてんの?」
「そんな野暮ったいことしないよ」
「じゃあなんで? おまえ、露出狂か?」
「かわいいからはくにきまってるでしょ? はきたいからはくの」
ゆりは、ばかじゃないの? といった顔をあからさまにしていった。
「はやく行こうよ。遅刻しちゃう」
ゆりは幼稚園児のようにスカートをひるがえして、タンデムシートにまたがった。忍はあわてて目をそらした。
「メットがねえじゃねえか」
ゆりは笑顔でホルダーについてるヘルメットをたたいてみせた。
「それは甲田の」
「いいじゃない、妹なんだから。いくらわたしがおとなっぽくて頭よくて、スタイル抜群で美人だからって、嫉妬なんかしないよ、藍さん」
忍はだまって頭をふった。
「なんでよお、けち。そんなセコいと、女にもてないぞ」
「もてなくてけっこうだよ」
「ひとりいれば充分って? おーおー、おあついことで」
「いってろ」
「どーでもいいから、はやくいこ。マジやばくなってきた」
ゆりは真顔で腕時計を見ながらいった。
「しょーがねーな。俺の部屋にメットもう一個あっからとってこいよ」
忍はあごをしゃくっていった。
「ひとりで行くなよ」
ゆりがにらみとドスをきかせていった。
「行かねえよ。そんなこと考えもしなかった」
「部屋のどこ?」
「押し入れの中。すぐわかるって」
ゆりはバイクをとびおり、玄関に走った。
バイクの排気音がけたたましく響いた。
ゆりはスニーカーをつっかけて、あわてて玄関からとびだした。忍の後ろ姿が遠くにあった。
「ばかやろう! うそつき! 帰ってきたら、ぶっころしてやる!」
ゆりはかばんを地面にたたきつけさけんだ。
「ゆりちゃん!」
家の中から母親の怒った声がきこえた。
「もおっ!」
ゆりは両方のこぶしをふり、おもいきり地面をふみつけた。
3
街の風が頬をかすめていく。春のおとずれを感じさせるやわらかな風。朝なのにほこりっぽい都会の風。
街はまだ完全に目覚めていない。たちならぶほとんどの店が、まぶたをとじていた。人通りはほとんどないのに、自動車は道路をうめつくしていた。
1センチも動けない自動車の群れを、轟音をとどろかせて忍は追い越して行った。いらいらした顔がいくつも通りすぎて行った。
忍は笑みをうかべ、ギアをかえた。排気音がうなり、風がさらに強く、ゴーグルと頬をつきさした。
忍はバイクが好きだ。友達はみんな二輪は卒業して、四輪にのっている。みんなにいわれるが、バイクは雨の日や冬はたいへんだ。ちょっとしたことが死に直結する危険性をもっている。
が、風を肌で感じる疾走感、二輪という不安定さによるスリルがこのうえなくたまらなかった。自動車の間隙をぬって走る爽快感も、乗っているひとでないとわからない。今のような渋滞もほとんど関係ない。これが自動車だったなら、藍との待ち合わせにおくれるところだ。
忍と恋人の甲田藍は、仕事の関係で、一日中一緒にいることのできる休みがほとんどない。だから今日みたいなふたりとも休みの日は、朝早くに会う。そして一日中、自分達のまわりにあったことを話す。映画や遊園地へ行くでもなく、喫茶店へ行ったり、買い物をしながら、ただ話をする。それだけでふたりは充分しあわせだった。
忍は信号待ちのあいだに時計を見た。
「まだけっこうあるな」
作品名:夕陽の色は再生の色 -01 作家名:alaska