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微風

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ある日、地下鉄の駅前で「伊東さん」と後ろから声をかけられた。
「あれっ、俺より先に会社出たよね」私は直美が近づいてくるのを見ながら言った。
「お茶を買ってたの。ほら会社で飲むのも美味しいけど、それより高いやつ」

直美は嬉しそうに言いながら、わざわざ袋から出して見せた。私はその笑顔にコツンと感じるものがあった。
「私ね、一駅分歩いてるんだ。運動になるしね」
 直美が地下鉄へ下る階段を見ながら言った。私は階段に向かっていた体を直美のほうに向きなおして「じゃあ、俺も歩いてみようかな」直美の脇に並んで歩き出した。
「なんだか、ちょっと違う感じがするなあ」と私は言った。
「えっ、何が」歩きながら直美がちらっと私に視線を移した。
「昼休みに一緒に歩いている時と」私はちょっと間をおいてから「雰囲気が」と言った。
「ああ、スカートに履き替えたしね」直美はそう言って、スカートの裾をつまんで本の少し上にあげた。

私はまた、直美のことばで太ももをちらっと見せられてしまった。それは一瞬ではあったが、次に「大人っぽく見える?」と言って悪戯っぽく笑みを浮かべる直美は、仕事中よりずっと大人っぽくセクシーに見えた。
「うん、おとなおとな」私は軽い動揺を押し隠して冗談ぽく言い返す。
「ああ、ほんとはそう思ってないんでしょ」と直美は体を軽くぶつけてきた。

あれっ、俺たちそんな仲か?と一瞬思って直美を見る。直美はもう何事もなかったように歩いている。一応恋愛結婚している私でも、まだ女性心理がわからない。まあ、個人差があるといえばそれまでの話なのだが。しかし私の心の中でかすかに風が吹いている。

やがて繁華街に入ってパチンコ店からは騒音が流れ出している。どんどん陽が長く感じるころで、まだ明るかった。直美がゲームセンターの所で歩みが遅くなって中を覗いている。私も覗いて「見て行こう」と中に入ると直美もついてきた。
 私は野球が好きなので、野球のゲームを始めた。直美も「あ、おもしろーい」と言いながらすぐそばに来た。何の匂いだろう、香水ではないような気がする。それは家庭を破滅させてもという強いものではなかったが、私はその匂いを好ましく思え、また直美に惹かれてゆく自分を感じた。

作品名:微風 作家名:伊達梁川