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てっしゅう
てっしゅう
novelistID. 29231
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大切な人 前編

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縁が無かったというか、晩生と言うか、恋愛には関心が無かったという面があった。

夜になって夫が帰ってきた。
「あなた、お帰りなさい」
「ただいま。うん?どうした。美幸も怖い顔をして・・・」
「お父さん!正直に話して」
「何を急に言うんだ。解らないじゃないか」
「JTBから電話があって旅行に変更が出来たから至急連絡が欲しいと聞かされたの。お母さんとは約束してないのに誰と行く予定だったの?」
「誰って・・・」
「奥様とご同伴って電話で言ってたのよ。だから、家にかかってきたんじゃないの?携帯がつながらなかったから」
「・・・」
「ねえ?お母さんの前ではっきりと言えることよね?」
「何をだ・・・」
「何をじゃないでしょ!誰と行く予定だったのかっていうことでしょ」
「靖子とだよ。他に誰がいるって言うんだい」
「何故話さなかったの?変じゃない。来週のことなのよ」
「驚かそうと思って・・・普段あまり出かけて無かったから」

靖子は夫がうそを言っていることが直ぐに解った。今までの生活の習慣でうそを言う時と自信が無い話になると貧乏ゆすりを始めるからである。

「美幸、もういいじゃないの。お父さん、お母さんを驚かそうと考えていてくれていたんだから」
「なんか納得できないって感じなのよ」
「あなたもそんなきついと彼に嫌われちゃうわよ」
「そんな事関係ないことでしょ!もう・・・ちゃんとお母さんと話し合ってよ、お父さん!」
「解ったよ。それよりご飯にしてくれ」

私が入浴を済ませて部屋に戻ると夫は珍しく起きていて、髪を乾かすのを待って話しがあると寄ってきた。

「旅行のことだけど、話さなくて悪かった。来週一緒に出かけよう、いいだろう?」
「あなた無理はなさらないで。私は大丈夫ですから、お友達と出かけてください」
「いいんだ、キミと行きたかったんだから」
「嘘は仰らないで・・・これ以上話したくないですから、あなたのご自由になされてください」
「怒っているんだろう?」
「どうしてですか?そんな風に見えますか?」
「いや、そのう・・・あっさりしているから」
「結婚してからずっと同じですよ。さあ、もう寝ましょう」
「ああ、じゃあ今日は起きていられるから・・・楽しもうか?」
「そんな気分じゃありません・・・」
「やっぱり怒っているんじゃないか!はっきりと言ってくれよ。なんだか後味が悪いよ」
「後味が悪いのは私のほうですよ。何か不満がおありなんですか?」
「家の事よくやってくれているし不満なんかないよ。友達からも綺麗な奥さんで羨ましいって言われるし」
「あなた今までそんな事仰ったこと無かったのに・・・」
「そうだったか・・・」

靖子はこのときはっきりと夫の浮気を悟った。悲しくなかったが、何故自分にもっと優しくしてくれなかったのか残念に感じていた。
隣で寝息を立てて眠っている夫を見て、いろんなことを考えて眠れなくなってしまった。目を閉じると昼間の庄司との出逢いが思い出された。
「こうして逢えたのは運命だ」そう言われた。今夫の浮気が解って孤独感に苛まれようとしている自分の心に待っていましたとばかりに
入り込んできそうな庄司の存在に気付かされていた。

夫は約束どおりに週末の土曜日から三日間旅行に出かけた。友達と言うことになってはいた。確かめることもせずに、出かける夫を
見送った。月曜日の朝になって先週雨の日に渡された電話番号のメモをテーブルの上において眺めていた。
逢ってはいけない・・・話すだけなら構わないだろう・・・逢うことがすでに浮気につながる・・・お茶のみ友達なら気を紛らわすことが出来そう・・・
いろんな想いがメモを見つめながら浮かんでくる。約束の10時はもう過ぎてしまった。行けませんと電話をかけることがマナーかも知れないと
自宅の受話器の番号を回した。

「靖子です。やはり行けませんのでお電話しました」
「電話ありがとう。来ないと思っていたから嬉しいよ。今日はいいことがあったんだ。とっても可愛い熊のぬいぐるみがイギリスから先週に届いて
是非あなたにプレゼントしたいと思って持ってきたんだ。取りに来るだけで構わないから待っているよ。出ておいで」
「そんな・・・もったいないです」
「靖子さんに渡すことがもったいないだなんて思わないですよ。僕の気持ちですから・・・大切にさえして頂ければそれで嬉しいんです」
「本当に頂けるのですか?」
「ああ、うそは言わないよ。早くおいで」
「はい・・・直ぐに参ります」

優しくそして親しく抑揚をつけて話す庄司の誘いを断ることが出来なかった。夫とはまるで違うその容姿と立ち振る舞い、何より自分を
褒めて気分よくさせてくれる話し振りがいつの間にか引き込まれるように気持ちを変えさせていた。たった二回目の出逢いで、靖子は
初めて男性を好きだと感じる気持ちに戸惑っていた。車のキーをまわしてエンジンをかける。待ち合わせ場所までの時間はあっという間
であった。

「お待たせしてすみません・・・」
「靖子さん、今日もきれいだね。さあ、座って。コーヒーでいいのかな?」
「はい、お願いします」
呼び鈴を押して庄司は店員にコーヒーを注文した。
「そうだ、下の名前は雄介と言います。靖子さんは・・・苗字は教えて頂けますか?」
「はい、武田です」
「武田靖子さん・・・女優さんみたいなお名前ですね。こんな事聞いたら失礼なんでしょうが・・・ボクは28年生まれです。
靖子さんは何年生まれですか?」
「・・・お若いですね。恥ずかしくて言えませんわ。少し年上とだけ覚えておいて下さい。ゴメンなさい、ごまかして」
「いえ、聞いたボクが悪かったです。そうだ、これ、電話で話したぬいぐるみです。可愛いでしょ?」
「ほんと!可愛いですね。車に置かせてもらいます」
「そうですか。こっちの青い方はボクの車に置きます。お揃いになりますね」
「ええ、そうですね。お仕事忙しいと仰っていましたよね?大丈夫なんですか、私と会っていたりして」
「開店は午後からです。女性の従業員がいますので遅れても大丈夫ですよ。靖子さんは大丈夫なんですか?」
「私は専業主婦なので・・・時間があってないようなものです」
「何か趣味はされていないのですか?」
「今はやっていません」
「すると昔はやっていたのですか?」
「ええ、すこしカラオケのレッスンを受けていましたの」
「そうなんですか!どうして辞められたの?」
「先生が亡くなられて・・・仕方なく生徒みんなで初めの間は集まって歌っていましたが、それも次第に少なくなり今は会うこともありません」
「じゃあ、歌がお好きなんですね?」
「下手ですけど、好きです。庄司さんは音楽のお店でしたよね?ご自分でも楽器とかやられるのですか?」
「一応はギターとかウクレレとか演奏しますよ。歌も好きなんです。どうですか?今度一緒にカラオケにでも行きませんか?」
「ええ、お休みはいつなんですか?」
「水曜日です」
「そうでしたか・・・お誘い頂けるのなら、ボックスじゃなくカラオケ喫茶のほうが嬉しいです」
「どうしてですか?」
「いろんな方の歌が聞けるから、いい曲を見つけられるかも知れないって思えるからです」
作品名:大切な人 前編 作家名:てっしゅう