哀恋草 第七章 人質
第七章 人質
志乃はその夜、光と褥を共にした。語りつくしきれないお互いの身の上話や世間話に遅くまで花が咲いた。志乃には幼い頃亡くした妹がいた。生きていれば光より少し上になるが、色の白い目鼻立ちの整った自分とは違う父親にそっくりな容姿であったが、とても可愛がっていた。ふと涙がこぼれてきた。
「志乃さま?どうなされましたの?光が意地悪を申しましたか?」
心配になって顔を覗き込んだ。
「ごめんなさいね・・・私には生きていたらあなたと同じぐらいの可愛い妹がいたの。光どのとお風呂に入ってからそのことがずっと頭から離れなくなっていたのです。話さなくてごめんなさいね・・・」
「そうでしたの・・・私はずっと一人でしたから・・・そのような悲しい思いはないのですが、きっと妹様は志乃さまを慕われていたのでしょうね。こんな素敵なお方なんですもの・・・」
志乃は光の言葉が堪えた。話しをしていると本当に自分の妹のように感じられてくるからだ。その妹の前で自分がなそうとしていることの浅はかさ・・・何より時政のような老獪な人間の妾になっている自分、光のような純真でひたむきな娘が悲しい思いをしてはならない!はっきりとではないが時政の探している義経の愛妾に通じる何かが、ここにあると予感していた。
「光どのには好きなお方は居られぬのか?」
「えっ?急にそのような・・・」
光は維盛のことを思い出してしまった。ずっと忘れようとしていたことだったのに・・・涙が溢れ出してきた。
「どうされましたか?いけないことお聞きしたようですね、許してください」
「構いませぬ・・・初めて好きになった殿は、・・・亡くなってしまわれました。光に別れのご挨拶もなく・・・」そのあとは言葉にならず泣き伏してしまった。
志乃は光が肩を震わせながら泣いているのを、愛おしく感じた。幼い心にこれほどまでに想いを残させたお人とは、誰なんだろうかとそのことも気になった。しかし今はその人の名を聞く時ではないと思い、ひたすら抱き寄せて泣き止む時を待っていた。夜が白みかけた早暁の如月半ばの寒い朝であった。
志乃の胸に抱かれて眠ってしまった光はみよの言葉に目が覚めた。
「光!お目覚めか?日が昇ってございますよ」
隣で身支度をしている志乃の姿が目に入った。
「これは寝すぎてしまいました。昨夜は大変失礼な光をお許しくださいませ・・・」頭を深く下げた。
「いえいえ、私の方こそ、初めてなのに親しうして頂き、嬉しかったですよ。これから先お逢いできることがあれば、またお話の続きを致しましょうね」
「はい!必ずや・・・光は、楽しみに致しております。必ずや、お逢いできましょうぞ」
光は志乃との別れが不安でならなかった。何か因縁めいたものを感じていたからだ。みよもまた、初めて接した時から何かを感じていた。再びの巡り合いが叶うなら、喜びに満ちたものであって欲しい・・・そう光は願っていた。
吉野に旅立つ志乃を光とみよは街道まで送りに出た。その姿が見えなくなるまで手を振っていた。後ろ髪を引かれる思いで早足に歩いた志乃は、次第に間者としての自分を取り戻そうとしていた。吉野川が見えてきたところで、聞き込みをした。時政から預かった義経の風体を書いた絵を見せて、訪ね歩いた。橋の麓でなにやら佇んでいる一人の女に気を引いた。どことなく品のある顔立ちと容姿。この辺りの住人とはことなる様子に、ピンと来たのか、近づいて話しかけた。
「申し訳ございませぬ・・・道を尋ねとうござります。一蔵殿が住まいご存知でございましょうか?」
藤江は志乃の顔を見て疑うことなく、自分がその家の住人であることを答えた。
「それはまた偶然!助かりました」
「私も戻りませぬと・・・ご一緒されまするか?」
「ありがとうございます。では、ご一緒に・・・」
光から聞いていた作蔵の兄、一蔵が吉野では実力者ゆえ、人探しも容易であろうこと一筆認めてもらい懐に忍ばせていた。志乃は案内する藤江にその書付を見せた。ハッとした顔で志乃が出した書付を見た藤江は見る見る青ざめてしまった。驚いた志乃は傍に腰を降ろし、藤江を気遣った。
「いかがなされました?ご気分が悪いように見受けられまするが・・・」
「いえ・・・申し訳ござりませぬ。めまいに襲われた由にございます」
そう言ってごまかした。橋の上から投げ捨てた密書と全く同じ紙包みを見せられた動揺からだった。
気を取り戻して藤江は足を進めた。志乃はただならぬ様子にいぶかしく感じたが、違う話題を振った。
「名前はなんと申されます?」
「申し遅れました、藤江といいます」
「藤江さま・・・失礼ですがお生まれはこちらとは違うように見受けまするが、お聞きしてもよろしゅうござりまするか?」
「・・・はい、摂津でございます。夫について今は吉野で商いのお手伝いを一蔵様にお世話いただいております」
「そうでしたか、一蔵様のお噂は遠くまで聞こえておりましょうのう・・・」
「摂津、熊野、平城、京まで幅広く交流されておられますから」
「昨夜お泊め戴いた作蔵殿は弟殿とお聞きしました。ご存知でございましょうか?」
「はい、二三度お会いした事がございまする」
「ご一緒に住まわれる光さまとみよさまもご存知でしょうね?」
「はい、もちろんでございます。それに光殿の母久殿も親しゅうにさせていただきまする・・・」
「久どの・・・そのようなお方は居られませなんだが・・・」
「・・・お出かけだったのでございましょう。以前はこちらの一蔵殿がお世話しておられましたが、なにやら良くお出かけなされていたので、その日も御用がおありだったのでございましょう」
藤江は警戒することなく話していた。志乃は光の母がいると聞き、意識した。光はそのことを話さなかった。あれほどいろんな話しをしていたのに。隠していたわけではなかったのだろうが、母は知らないと言っていたことがなにやら訳有りに感じられてきた。程なく一蔵が屋敷に志乃は着いた。
一蔵は作蔵の紹介状を呼んで志乃の叔父探しを手伝う約束をした。志乃はこの地から外に出てしまっているやも知れないことを話した。なにせ十年近い年月が過ぎているからだ、いやそううそをついたのだ。すぐに見つかるようなことにならないように仕組んだのだ。ありもしない風体を話し、自分に記憶が薄いことも捏造していた。そして、少し若い頃の顔立ちだと、義経の似顔絵を懐から取り出し、一蔵に見せたのだ。
母親が頼んで書いてもらったものだと、その場にいる藤江にも見せた。二人の顔色が一瞬変わった事を志乃は見逃さなかった。しかしそこは熟練の間者。追求するそぶりも見せずに、穏やかに話す。
「こちらに来てそこ此処にこの似顔絵を見せましたが、どなたもご存じなく、この地には居られぬように感じ始めております。元々がしかと確証のある旅ではござりませぬゆえ、数日お邪魔させていただき、あきらめて京へと戻りまする。一蔵様には今しばらくご逗留させていただけますよう志乃からお願い申し上げまする」
「志乃どの、作蔵が紹介の御仁じゃ、心置きなく滞在されよ。藤江が世話を致すゆえ、何なりと申し付けられよ」
「ありがたくお受けいたしとうございます。藤江さまよろしゅうに願いまする」
志乃はその夜、光と褥を共にした。語りつくしきれないお互いの身の上話や世間話に遅くまで花が咲いた。志乃には幼い頃亡くした妹がいた。生きていれば光より少し上になるが、色の白い目鼻立ちの整った自分とは違う父親にそっくりな容姿であったが、とても可愛がっていた。ふと涙がこぼれてきた。
「志乃さま?どうなされましたの?光が意地悪を申しましたか?」
心配になって顔を覗き込んだ。
「ごめんなさいね・・・私には生きていたらあなたと同じぐらいの可愛い妹がいたの。光どのとお風呂に入ってからそのことがずっと頭から離れなくなっていたのです。話さなくてごめんなさいね・・・」
「そうでしたの・・・私はずっと一人でしたから・・・そのような悲しい思いはないのですが、きっと妹様は志乃さまを慕われていたのでしょうね。こんな素敵なお方なんですもの・・・」
志乃は光の言葉が堪えた。話しをしていると本当に自分の妹のように感じられてくるからだ。その妹の前で自分がなそうとしていることの浅はかさ・・・何より時政のような老獪な人間の妾になっている自分、光のような純真でひたむきな娘が悲しい思いをしてはならない!はっきりとではないが時政の探している義経の愛妾に通じる何かが、ここにあると予感していた。
「光どのには好きなお方は居られぬのか?」
「えっ?急にそのような・・・」
光は維盛のことを思い出してしまった。ずっと忘れようとしていたことだったのに・・・涙が溢れ出してきた。
「どうされましたか?いけないことお聞きしたようですね、許してください」
「構いませぬ・・・初めて好きになった殿は、・・・亡くなってしまわれました。光に別れのご挨拶もなく・・・」そのあとは言葉にならず泣き伏してしまった。
志乃は光が肩を震わせながら泣いているのを、愛おしく感じた。幼い心にこれほどまでに想いを残させたお人とは、誰なんだろうかとそのことも気になった。しかし今はその人の名を聞く時ではないと思い、ひたすら抱き寄せて泣き止む時を待っていた。夜が白みかけた早暁の如月半ばの寒い朝であった。
志乃の胸に抱かれて眠ってしまった光はみよの言葉に目が覚めた。
「光!お目覚めか?日が昇ってございますよ」
隣で身支度をしている志乃の姿が目に入った。
「これは寝すぎてしまいました。昨夜は大変失礼な光をお許しくださいませ・・・」頭を深く下げた。
「いえいえ、私の方こそ、初めてなのに親しうして頂き、嬉しかったですよ。これから先お逢いできることがあれば、またお話の続きを致しましょうね」
「はい!必ずや・・・光は、楽しみに致しております。必ずや、お逢いできましょうぞ」
光は志乃との別れが不安でならなかった。何か因縁めいたものを感じていたからだ。みよもまた、初めて接した時から何かを感じていた。再びの巡り合いが叶うなら、喜びに満ちたものであって欲しい・・・そう光は願っていた。
吉野に旅立つ志乃を光とみよは街道まで送りに出た。その姿が見えなくなるまで手を振っていた。後ろ髪を引かれる思いで早足に歩いた志乃は、次第に間者としての自分を取り戻そうとしていた。吉野川が見えてきたところで、聞き込みをした。時政から預かった義経の風体を書いた絵を見せて、訪ね歩いた。橋の麓でなにやら佇んでいる一人の女に気を引いた。どことなく品のある顔立ちと容姿。この辺りの住人とはことなる様子に、ピンと来たのか、近づいて話しかけた。
「申し訳ございませぬ・・・道を尋ねとうござります。一蔵殿が住まいご存知でございましょうか?」
藤江は志乃の顔を見て疑うことなく、自分がその家の住人であることを答えた。
「それはまた偶然!助かりました」
「私も戻りませぬと・・・ご一緒されまするか?」
「ありがとうございます。では、ご一緒に・・・」
光から聞いていた作蔵の兄、一蔵が吉野では実力者ゆえ、人探しも容易であろうこと一筆認めてもらい懐に忍ばせていた。志乃は案内する藤江にその書付を見せた。ハッとした顔で志乃が出した書付を見た藤江は見る見る青ざめてしまった。驚いた志乃は傍に腰を降ろし、藤江を気遣った。
「いかがなされました?ご気分が悪いように見受けられまするが・・・」
「いえ・・・申し訳ござりませぬ。めまいに襲われた由にございます」
そう言ってごまかした。橋の上から投げ捨てた密書と全く同じ紙包みを見せられた動揺からだった。
気を取り戻して藤江は足を進めた。志乃はただならぬ様子にいぶかしく感じたが、違う話題を振った。
「名前はなんと申されます?」
「申し遅れました、藤江といいます」
「藤江さま・・・失礼ですがお生まれはこちらとは違うように見受けまするが、お聞きしてもよろしゅうござりまするか?」
「・・・はい、摂津でございます。夫について今は吉野で商いのお手伝いを一蔵様にお世話いただいております」
「そうでしたか、一蔵様のお噂は遠くまで聞こえておりましょうのう・・・」
「摂津、熊野、平城、京まで幅広く交流されておられますから」
「昨夜お泊め戴いた作蔵殿は弟殿とお聞きしました。ご存知でございましょうか?」
「はい、二三度お会いした事がございまする」
「ご一緒に住まわれる光さまとみよさまもご存知でしょうね?」
「はい、もちろんでございます。それに光殿の母久殿も親しゅうにさせていただきまする・・・」
「久どの・・・そのようなお方は居られませなんだが・・・」
「・・・お出かけだったのでございましょう。以前はこちらの一蔵殿がお世話しておられましたが、なにやら良くお出かけなされていたので、その日も御用がおありだったのでございましょう」
藤江は警戒することなく話していた。志乃は光の母がいると聞き、意識した。光はそのことを話さなかった。あれほどいろんな話しをしていたのに。隠していたわけではなかったのだろうが、母は知らないと言っていたことがなにやら訳有りに感じられてきた。程なく一蔵が屋敷に志乃は着いた。
一蔵は作蔵の紹介状を呼んで志乃の叔父探しを手伝う約束をした。志乃はこの地から外に出てしまっているやも知れないことを話した。なにせ十年近い年月が過ぎているからだ、いやそううそをついたのだ。すぐに見つかるようなことにならないように仕組んだのだ。ありもしない風体を話し、自分に記憶が薄いことも捏造していた。そして、少し若い頃の顔立ちだと、義経の似顔絵を懐から取り出し、一蔵に見せたのだ。
母親が頼んで書いてもらったものだと、その場にいる藤江にも見せた。二人の顔色が一瞬変わった事を志乃は見逃さなかった。しかしそこは熟練の間者。追求するそぶりも見せずに、穏やかに話す。
「こちらに来てそこ此処にこの似顔絵を見せましたが、どなたもご存じなく、この地には居られぬように感じ始めております。元々がしかと確証のある旅ではござりませぬゆえ、数日お邪魔させていただき、あきらめて京へと戻りまする。一蔵様には今しばらくご逗留させていただけますよう志乃からお願い申し上げまする」
「志乃どの、作蔵が紹介の御仁じゃ、心置きなく滞在されよ。藤江が世話を致すゆえ、何なりと申し付けられよ」
「ありがたくお受けいたしとうございます。藤江さまよろしゅうに願いまする」
作品名:哀恋草 第七章 人質 作家名:てっしゅう