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天国へのパズル 閑話休題 - tempo:adagio -

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 今日のカミラは、機嫌が良かった。
 昼間にいいコーヒー豆が手に入ったからだろうか。昨日作ったラタトゥイユが思いのほかいい出来だったからだろうか。
 考えている間に、ソファーに座っていた男が立ち上がる。

「戻るの?」
「ああ、うちのお姫様がまた若いのに無茶を言っているだろうから。コーヒーをありがとう。」

 彼は上に住んでいる男の様子を聞きに来たと言っていたが、話したことといえばカミラの事と彼の近況だけだ。
 なぜふとした瞬間に笑顔になってしまうのか。
 きっと彼が古い縁を持つ人であり、彼が恋心を抱いた人間故、若い頃の気持ちがよみがえったのかもしれない。そう思うと子供返りをしたみたいで、カミラは自重気味笑った。
 彼女の思い出した恋はささやかなのだが、劇や小説に有りがちなシチュエーションだった。
 カミラは暴動の中にいると分からず、混乱した母親と二人怯えて路頭に迷っていた。
 そして、暴動から助けてくれた男に惚れた。
 しかし、二人を助けようとした男は、その暴動を扇動していた首謀者だった。
 幼いうちに体験したそれは、どんな物語よりも鮮やかで、憎らしいほど心を動かす。
 現実の方がフィクションに満ちている。有り得ない事など、きっと無いのかもしれない。架空の世界は創作者の感情によって運命も選択も左右されるが、ここまで酷い物語を創るのは売れない劇作家だけだ。
 巻き込まれた暴動によってカミラは母と片足を無くした。焦燥と恨みから法曹界を目指し、検事として仕事を任され始めた頃に、一番憎んだグループに初恋の男が属していると知った。その時、彼は仲間の半分と、カミラと同じように片足の自由を失っていた。
 恨む事は体力と耐える心が必要だ。そして、その力を蓄える事は、同じだけの衝撃が必要だ。
 カミラは、そのどちらも持っていなかった。裁判等の仕事を数件処理したところで、彼女は呆気なく仕事を辞め、父親が残したアパートを相続した。そして、今に至る。
 長い間その記憶に翻弄されていたが、カミラの心には恋焦がれる感情は消え、失ったものに対する恨みの感情も無くなっていた。男と再会したその時に心に残っていたのは、彼に対する同情と自分の過去を哀れむ感情だ。
 しかし、彼の心は未だ過去に縛られ、贖罪に満ちている。そして、彼の周囲の人間にも同じものが繋がっている。
 そんな囚われの身でありながら、彼の言うお姫様や世話をする若者達の我侭はいつも面白かった。若々しく、はつらつとしていた。
 カミラの淡い栗色の髪は、最近白髪が混ざり始めている。あの子たちの様に明るく、もっと違う生き方があったのに。カミラは男にコートを渡した。

「今日は急ぎの用でもあるの?」

 男はコートを着ながら天井を指差した。

「上に戻ってきた奴が動いてないだろ?今日あいつに預ける予定なんだ。」
「ああ・・・・もしかしたら寝てるんじゃないかしら。昨日、一昨日と徹夜で上の階に動いて貰ったのよ。自称アーティストのコンビがシェアを解消して出て行った所だったし、うちの2階は2人も暮らせるスペースじゃないから。」
「ここ、4階建てだよな?」
「ええ、そうよ。家具は備え付け、荷物なんてあの子1人の服や生活雑貨だけでしょ?」

 元々が古い上に狭小に近いアパートだ。更に、2階にはカミラのクローゼットの部屋があるので、活動できるスペースはワンルームに近い。男の懇意で引っ越してきた彼はきちんと玄関周りを綺麗にしてくれる分、3階に住んでいた2人組よりましだ。
 しかし、カミラはそんな部屋に2人の人間を押し込む事はしたくなかった。何より、年頃の女の子に個室が無いのは可愛そうだ。
 丁度契約更新もあった事から思いやり価格で動いてもらったが、彼は契約を渋った上、いつもよりゴミを多く出していた。ここ最近立て込んでいた所為で、片づけを怠っていたのだろう。今日の朝に至っては瓶、空き缶、紙、生ゴミと適当に詰め込んでいた。分別収集を忘れる程疲れているのだから、そろそろ緊張が切れる頃なのかも知れない。
 世の中は予想の更に上をいくのだから、普段から備えねばならない。それぐらい分かっている筈なのに。
 目の前の男もカミラの教えたレシピを、とんでもないところで手順を間違えて失敗していた。上で力尽きている彼も同じだ。人の話を聞かず、自分の尺で物事を図ろうとする勝手な男ばかり。しっかりしている様で、抜けている。

「友達が少ないと言っても、彼に保護者にイデアの女の子を引き受けさせるなんて無茶な話なのよ。私がその子と同じ立場だったなら、オリバーみたいな男のところへは絶対行かない。」
「これはまた、手厳しい。」

 オリバーは頭をかいた。
 身体に不自由を抱えた女が一人で生きられるほどこの街は優しくなくて、年を取った男一人が生きるには冷たい空気に支配されている。二人が寄り添えばいいのだけれど、お互いに抱えた過去と感情が反発しあって、これ以上近づく事が許せなかった。
 カミラがオリバーを見送ろうと玄関を開けると、もう路地の街灯が付いていて、通りの向こうから見知った顔が向かってきていた。
 黄色いコートを羽織ったアンジェラが手を振っている。

「なんだ、ターミナル駅で落ち合う予定じゃなかったのか。」
「そうだけど、あいつが遅いから出向いたまで。遠回りしなきゃ、やんちゃな馬鹿共の喧嘩が始まりそうな感じでね。今頃は警察様とドンパチやってるわよ。」

 アンジェラ達は団体で駆け込んでくると玄関の扉を閉めた。8区にも行かない方が正解だと付け足し、自慢げな顔で茶髪の少女を前に押し出す。

「ほれ、どうよ?同伴どもに文句つけられて、リーズナブルかつシンプル。更にガーリーにまとめてみた。」

 オリバーは写真で知っているが、カミラはヨリを初めて見た。薄桃色のシャツに白いレースのチュニックを重ね、スキニーのジーンズ。カミラはついこの間まで孤児と同じ状態だと聞いていたので、突発的にアンジェラがコーディネートしたと気づき、苦笑いを浮かべた。可愛らしいのに、その顔は若干強張って視線が彷徨っている。
 オリバーがヨリに手を差し出した。

「可愛いのは分かってるし、紹介の仕方が間違ってるぞ・・・・初めまして。俺はオリバー。」
「は……じめまして。」

 おずおずと手を差し出したヨリの手をしっかりと握る。カミラも挨拶すると、丁寧にお辞儀をした。
 オリバーは笑いながらアンジェラの後ろにいる面々を見た。

「で、そいつらまで着せ替えたのか。」
「ついでよ。うちのお嬢様、こういうの好きだし。今日外出禁止にしたから、この子の替わりに連れて帰ろうと思って。」

 紙袋等の荷物を抱えたルカは、ブレザージャケットに綿のパンツと落ち着いた様相をしている。混血児だからか、どちらとも取れぬ顔立ちなので、フォーマルに近い服装をさせると様になり、普段以上に知的に見えた。