Reborn
7
私たちは上田屋のラーメンが特に気に入っていた。まず麺が太めで少し硬く、食べ応えがある。小さなシュークリームばかり食べているときに大きなシュークリームに出会って感激する、それと少し似ている。スープは油が上に浮いていて、私たちの油に対する隠微な欲求を満たす。油を愛する気持ちは昔から罪のように思っていたが、その罪も人と会うという口実のもとでは贖われる。スープの味自体も、ダシと塩加減が適度に効いていて、飽きることがない。そう言えばラーメンのスープには砂糖は入っているのだろうか。まろやかさを出すために多少は入っていそうだ。
今日の会話は、初めは私のテンションが低かった。というのも、友人と会う前に、同じ大学の工学部にいて、その後一般企業に就職したのだが、なぜか途中で県庁を受けて行政職で受かってしまい、今県立病院の事務をやっている友人と散々電話でしゃべったからだった。この友人との会話は金属同士の触れ合いみたいなものだ。お互い外面的な近況しか話さない。その近況の輝き具合をお互いに映し合って、なんとなくお互い金属であることを確認し合って話し終える。たぶん、自分とは違う人生を生きている、その違う人生自体が面白いのだと思う。だから表層的な出来事を聞いただけで、飾り気のない物語重視の小説を読んだ後のような、物語の感動的な圧力がやってくるのだ。
上田屋には、本棚がいくつも置いてあり、大量の漫画が収められている。「ワンピース」とか「あずみ」とかいろいろの漫画が、表紙が新しかったり古かったりしながら、大して読まれもしないのに、読まれないことの誇りみたいなのをまとって本棚に収まっている。
その本棚をわき目に見ながら、私は外に出た。食券制だから、帰りに代金を支払うことはない。初夏の悲しい光と虚ろな空気の流れが私を包む。日差しがまぶしい。「外」というものはいつも厳しい。「外」というものは初期状態がいつも敵属性だ。私は「外」をかきわけ猛ダッシュするか、「外」の微細な襞にからみついて「内」に取り込むか、ただ「外」の敵意を無抵抗に受け入れるか、あるいは、「外」を破壊してその破片の上に君臨するか、いずれかだ。
帰りの車の中で、友人が言った。
「さっきの話に戻るけど、やっぱり俺は雄太が言うように完璧主義なのかな。」
「だろうね。」
「車を運転してても、近道があるってわかってるのに、その近道を詳しく知らないから、結局遠回りしかできないときがあって、それがストレスなんだ。」
「そう。」
「雄太と話してても、自分の言いたいことが完全に伝わらない。言いたいことが言いきれてない。これもストレスなんだ。」
「あはは、面白いなあ。」
「面白くはないよ。俺は苦しんでるんだから。」
だが友人は楽しそうだった。
「俺はなんかどうでもいいことをいちいち完全にやらなくちゃいけないっていうこだわりがあって、無駄に苦しんでるんだ。最近学生時代のこととか思いだすんだけど、なんかその思い出すのも不完全な気がしてさ。」
「どういうこと?」
「いや、どうせ思い出すんならもっと子供のときのこととかも思い出さないといけない気がして。」
「ああ、完璧主義ね。」
「それで子供のときどんなだったか思い出そうとしたらふと湧いてきた思い出があってね。家族で山に行ったときのことだけど、俺だけはぐれちゃってさ。泣きだしそうに怖かったのを思い出したんだ。周りの風景は覚えてないんだけど、周りの風景が何かとんでもなくこの世のものじゃないように思えたのは覚えてる。異世界に入り込んだみたいにね。」
「子供のころの恐怖ってはんぱないよね。俺はね、子どもころ世界が滅亡するんじゃないかって怖かった。まあ人類の歴史では終末思想なんていろんな場所で繰り返されてきたものなんだけどね。でもなんていうかな、子どもの頃の終末思想って、「思想」とは呼べない何か生理的なものなんだよ。思想だったらそれを吟味することができる。批判してそれを乗り越えることもできる。でも子供のころは批判することも吟味することもできず、ただ終末の恐怖だけが生理的に埋め込まれてるんだ。たぶん人生で初めての悩みだったと思う。まあノストラダムスの予言を信じ込んだだけだったんだけど。」
「ああ、俺もあの予言は怖かったよ。でも何かすぐ忘れちゃった。」
「そう。俺にとってはね、あの予言には信憑性があったんだ。ってのも、子どもの頃環境問題が特に騒がれてた時期だったよね。環境が悪化して世界の終りが来る。世界の終末には根拠があったんだ。」
「じゃ「思想」に近かったんじゃない? あ、ごめん、今のところ曲がるべきだったね。」
友人の不注意はいつも偶然というよりは必然と思われた。友人が生まれたときに、あらかじめ、彼が何回間違えるかその数が決まっていたかのように感じることがよくあった。
「いや、次のところで曲がっても大丈夫だよ。まあでも俺自身が批判できなかったという意味では思想じゃないよ。ただ鵜呑みにしただけだから。それで、俺は植物の種を集めだした。雑草の種をね。小学校の帰り、秋ごろになると道端に種をつけた雑草がたくさんある。その種を集めて、饅頭とかが入ってた厚紙の箱に入れてとっといた。」
「なんかそういう収集癖ってあるよね。子供のころ。」
「うん。それで、それを、道路のアスファルトの端の方の土がたまってる所に蒔こうと思ってた。なんかねえ、あのアスファルトの上に生えてる雑草がとにかく好きだったんだ。何であんなに好きだったんだろう。たぶん俺の終末観に対して敢然と立ち向かってるのがアスファルトのところの植物だったんだろうな。アスファルトは人工的なもの。環境を汚染するもの。そのアスファルトに敢然と立ち向かう。それで環境問題が解決され終末が回避される。終末観を破壊できるのが、アスファルトに負けず生えている植物だったんだ。」
「それで結局その種はどうしたの?」
「それがねえ、俺の終末観はあっけなく終わったんだよ。あるとき母親に、意を決して言ってみた。「このまま世界が滅んじゃうんじゃないの? 石油とかもなくなるし。環境も破壊されるし。」母親は簡単に答えた。「太陽電池とかあるし、環境に優しい技術もどんどんできてくるんじゃない?」それで俺の終末観、俺の人生で初めての悩みはあっけなく消えたんだ。」
「なるほどねえ。」
友人はいつもの白いパーカーを着て、黒いジャージをはいていた。パーカーは、飲み物をこぼした跡で汚れていたが、特に気にしていないようだった。自分の汚れは人の汚れほど気にならないものだ。
私の家へ向かう私道の前に着いた。
「今日はどうもありがとうね。やっぱり上田屋のラーメンはいいね。」
「いやいやこちらこそ。また来週。」
「じゃ。」
私は車を降りて、道路を渡って家へ向かう私道に入って行った。