Reborn
11
「最近自分を肯定できてるよ。」
暖房の効いた難波ラーメンの店内で、私たちは一番奥の隅のテーブル席に座っていた。この店は全体に木目調で、カウンターもテーブルも、テーブル席を隔てる壁も、黄土色の木の質感を維持したままの素材で作られている。その壁には、大きな写真と宣伝文句が、専門のデザイナーに頼んで作らせたような完成度で、小気味よく自己主張している。自己主張も洗練されているとかっこいい。洗練されている時点で自己批判が働いているからだろうか。自己主張は自己批判の薬味があってこそ、その味を最大限に発揮できる。
「そう? まあ、なんで雄太がそんなに自分を否定してるんだろうとは思ってたけど。」
友人は、彼の母が入院したことについての心痛を延々と語った後だった。私はとりあえず聞き方に回り、その話が一段落したところで、自分の話したいことを話し始めた。
「この間ね、市のカウンセリングルームに行って来たんだ。」
「そんなのあるの?」
友人はやはり27歳という感じがした。見た目から年齢がわかるシステムというのがよく分からない。肌の色合い、つや、目鼻立ち、そういうものが年齢とともに変化していくのだろうが、それらを総合したところに「27」という数字がナイフのように刺さっている。私は数字と人間というものの間にいつも矛盾を感じる。物を数えたら27個あったというなら分かる。だが人間は物ではない。生きられた時間、喜び苦しんだ連綿とした時間、その数えることなどできないほど互いに浸透しあった集積に、数字が振られる、そのことの矛盾。
「うん。市のホームページで見つけた。なんか無機的で機能的ででかい建物の一室で、臨床心理士なのかな、そんな人に洗いざらいぶちまけて来た。」
「その「洗いざらい」ってのがそんな単純なものじゃないんでしょ? 「洗いざらい」ってほどさわやかじゃなくて、もっと屈折してたり、痛みが伴ったり。」
「もちろんそうだよ。俺は自分の性格のどこに問題があって、それでどんな問題を起こして、それに対して迫害を受け、自分がどれだけ傷ついて、人間不信に陥り、いろんな過ちを犯し、そんな中で人に助けられ、なんとか大学院も出たけれど、結局は空虚感や自己否定を捨て切れていない。こんなことをもっと具体的に、とにかく話したんだ。話したくないこともあった。それでも話したくないことほど話してみるとすごく気持ちがいいんだ。」
「グリーフ・ワークって知ってる? ナラティブ・セラピーってもいうんだけど。俺の父親がうつ病になったとき、俺手伝ったことがあるよ。父親がどんなことで苦しんでるのか、それを父親にしゃべらせて、俺がそのメモをとる。それで父親がだいぶ良くなった。」
「ああ、それかもしれない。なんて言うかな、とても空っぽになる感じ。でもこれまでの空っぽとは違うんだ。これまでの空っぽは、自分がどんなに楽しい思いをしたりどんなに充実していても、それを自分の中の負のかたまりが相殺してしまう、そういう空っぽだった。つまり、自分の中には大きなわだかまりがあって、このわだかまりが自分を満たしてくるものをすべて消し去ってしまう、そこからくる空っぽだった。でも、今の空っぽは、逆にそのわだかまりがなくなったことの空っぽなんだ。自分の中で大きな位置を占めていて、棘だらけだったわだかまりがなくなった。だからとてもすがすがしい気分なんだ。」
「おお、よかったじゃない。」
「でもねえ、そうすると、逆に困ることも起きる。」
「楽過ぎて?」
「いや、そうじゃないんだけど。何かね、最近俺あんまりしゃべんないじゃない。昔ほど。いろんなアイディアが湧いてきたり、いろんなことに気づいたり、そういうものの源泉にあったのが、その棘だらけのわだかまりだったんだ。何だろう、混沌として切実な暗黒の衝動、とでも言ったらいいのかな。それは自分にとって辛い過去の傷にいろんな負の要素がまとわりついて肥大したコンプレックスだったんだけど、同時に俺にとっては創造の源泉でもあったんだ。傷があったからこそ語れる。傷があったからこそ気付かなきゃって思う。ところが、俺にとって気づいていくこと、成長していくことってのは至上の価値で、俺のアイデンティティをなしてすらいる。その原動力が失われつつあるんだ。わだかまりが消えることで空っぽになった。でもそれは、俺の創造が空っぽになることも意味する。現にそうなりつつある。」
「いや、大丈夫だよ。多分またいろいろそういう負のやつってたまってくもんだから。」
友人は軽く笑いながら言った。友人の笑顔は昔から何か悲しみを含んでいるように思えた。私は、なぜか人の笑顔に悲しみを見てとる癖がある。
「そうかな。あと、もっと大事なことがあった。」
「ほうほう。」
「俺があんまりにも「自分に価値がない」っていうもんだから、先生が、「あなたほど価値のある人間はいませんよ」って言ってくれたんだ。」
「ああ、それは嬉しいかもね。なかなかそういうこと言ってくれる人っていないから。」
「俺は、初め、自分の学歴のことを言ってるのかと思った。でも、家に帰ってよくよく考えたら、先生は俺の全人生を肯定してくれたんだと気づいたんだ。つまり、俺が世間知らずで人間関係で失敗したことも肯定してくれたし、そのことで周りから反感をくらって傷つけられ苦しんだ、そのことも肯定してくれた。そして、その後人間不信から暴力をふるったり嫌がらせをしたりした、そのことも肯定してくれた。俺がいまだに人間や社会を憎んだりしている、そのことすら肯定してくれたんだ。俺のすべての苦しみは肯定された。「今までよく頑張ってきたね。もう苦しむ必要はないんだよ。あなたの人生はすべて価値のあるものだったんですから。」そういう意味だったんだ。」
私は言葉を詰まらせながら話した。私はとにかく嬉しくて、その嬉しさが根深いところで自分の緊迫したものを解きほぐしていくようで、涙が出たのだ。
「うん。」
友人は最小限の相槌しか打たなかった。それが友人の優しさだった。
「あとね、Syrup16gを卒業した。」
「ええ、それはずるいなあ。俺なんかはまっちゃったよ。」
その何週間か前に、私は友人にシロップのCDを無理に買わせたのだった。
「最近はACIDMANを聴くね。ポジティブで紳士的で、どこまでも遠くへと渡って行く音楽。シロップはね、余計なことに気付かせちゃうんだよ。自分でははっきりと思ってなかったけど、言われてみたらそうだなあって感じで自己否定を導いてしまう。本来なら気付くべきじゃない自分の悪意ややる気のなさ、虚無感、それをはっきり歌っちゃうことで、聴いてる人間に、自分も同じことを思ってたってことに気付かせちゃうんだ。それが癒しにはなるんだけど、それは逆に、いや同時に、ネガティブな罠にとらわれることにもなってしまうんだ。」
「俺は寝る前にシロップを延々とかけて、確かにそうだよなあとかぶつぶつ呟きながら、寝るんだ。」