沈黙のエンジェル
見渡すとその部屋は半球形のドームのような形になっていた。内装の半分が白い和紙のような材質で覆われていて、残りの半分がガラスのような透明な材質でできた窓になっていた。
目に映る自分の腕は真っ白で、金色の産毛に覆われていた。肩に流れる髪も金髪だった。
目覚めたのは私ではなかった。どうやら私はアンジーになってしまったようだ。
「ズジャベリン、大変なことになったみたいだ」
彼が言った。
「どうしたの? ドロスコイフ」
そんな言葉が自分の口から出た。自分の意志とは無関係に自分が動くのなら、自分という存在に意味はあるのだろうか……。
「ガンマ線バーストが起こる」とドロスコイフは思いつめた表情で言った。
「それって?」
「ガンマ線というエネルギーの高い電磁波が突然、放出される現象だ。僕たちの太陽が百億年間でつくる量のエネルギーを一秒間で放出するほどのすさまじい爆発現象なんだ。これまでは50億光年以上の遠距離で起こると考えられていたんだが、今回のはごく近くで起こるみたいなんだ」
尋ねるのが次第に怖くなってきた。
ドロスコイフは冒険映像家だった。クルーザーを飛ばして宇宙の秘境を訪ねては誰も目にしたことのない映像を発表していた。宇宙を熟知し、数々の危険を乗り越えてきた。そんな彼がいつまでも黙っていた。止むなくおそるおそる尋ねてみた。
「それでどうなるの?」
「さっきのニュースだと、えらいさん達が協議しているらしいけど……。どうも逃れるのは難しいみたいだ」
「そんな! 嘘よ! あなたのクルーザーを使えば? ここを離れてやり過ごせばいいんじゃない?」
「無理だよ。向こうは光の速さの99.9%でやってくるんだ。それもあと40日しかないんだ。その前にバーストの放射範囲を出ることは不可能だよ」
ドロスコイフは大きくため息をつき、私が横たわるベッドの足もとに腰を下ろした。
「昨日までは……。昨日まではあんなに楽しかったのに。2人で宇宙の穴場
を探検しようといってたのに……」
頬を熱い涙が伝うのを感じた。泣き崩れた私を、ドロスコイフが優しく抱き止めた。二人は交わす言葉もなくただ黙ってそのままたたずんでいた。
鏡を覗いてみた。そこにはアンジーの顔が映っていた。感情が抜け落ち、生気が失われている。時間の感覚が失われてしまったかのようだ。
今朝、たしかドロスコイフは、ガンマ線バーストの発生はあと20日後だと言っていたのを思い出した。
私は、力なくベッドに腰を下ろした。
向かいの白い壁は望めば情報端末のモニターとなるのだが、今は観る気もしなかった。
反対側の窓を眺めると、間もなく終末が訪れるというのがとても信じられないほど穏やかな天候だった。澄み切った薄ピンクの空が広がっていた。そこに幾筋もの白いロケット雲が伸びていた。間に合わないとわかっていてもクルーザーで、この星を離れようという人たちが後を絶たないようだった。ことによると、あの人たちは助かることなど考えていなくて、残された時間を愛する人と過ごしたいだけなのかもしれなかった。そう考えると自分もそうすればよかったと後悔の念にさいなまれた。
そこにドアをあけ、ドロスコイフが戻ってきた。
「どうだった?」と私。
ドロスコイフは政府のガンマ線バースト緊急対策協議会を傍聴してきたのだった。
「今考えられている案は2つのようだ。一つはセットバックで、もう一つはアーカイブだ。セットバックというのは人類の歴史の始まりを1万年ほど昔の方へずらそうという案だ。人類の歴史をもう一度やり直し、ガンマ線バーストという難局に対処できるだけの十分な時間を稼ごうとでもいうのだろう。しかし、1万年の間に新たに絶滅のリスクを背負いこむことになるかもしれない。そもそもそんなことが可能なのかどうなのかもあやしいみたいだし……。いずれにしろ今生きている者は全員助からない」
「じゃあ、アーカイブっていうのは?」
「似たようなものだ。全人類をデータに置き換えて圧縮する。そのデータを放射域外に向けて発信するというものだ。大容量の記録装置と解凍技術を持ったどこかの進んだ文明がデータからもとの人類に復元していくれるのに賭けるというのさ」
素人の私にもいい案だとは思えなかった。どちらの案が成功したとしても私たちはたぶん助からないだろう。落胆のなかで貴重な時間だけが過ぎていこうとしていた。
「起きろ! ズジャベリン! 起きるんだ」
目を覚ますと、ドロスコイフがいつになく興奮した様子でこちらを見つめていた。
ガンマ線バーストの発生予告が伝わってから、ドロスコイフは希望を失い、感情の起伏がなくなっていた。なのに、このときの彼は妙に生き生きしていた。
「いったいどうしたの?」
「これを見てみろよ」
ドロスコイフは手に持っていた薄い水色のカードを差し出した。
受け取るとそれは何かのメンバーカードのようで、39という番号と、「ズジャヴェリン・ラガドービキ」という私の名前が記されていた。カードを見つめる私を、ドロスコイフがじれったそうに眺めていた。やがて痺れを切らせて彼が言った。
「選ばれたんだよ、君は」
「何に?」
「方舟に決まっているだろう!」
「方舟?」
「ああ、そうだ。ガンマ線バーストのエネルギーを利用して空間に穴をあけるんだ。その穴に限界いっぱいの60隻の方舟を投入するのさ。うまくすれば、どこかべつの宇宙に辿り着ける」
「あなたは? あなたはどうなるの?」
「無理を言うな。方舟は1隻に1人しか乗れないんだ。しかも60隻はみんな別々のところに向かうんだ」
「いやよ! 1人じゃ行きたくない。たった1人、自分だけが生き残るなんて地獄。まっぴらだわ!」
私は泣きながらドロスコイフにすがり、その胸を叩いた。
「落ちつけ、ズジャベリン。厳密にいえば君は1人で行くんじゃない。僕を含めたみんなの遺伝子を携えていくんだ」
「どういうこと?」
真意がわからなかった私は、泣くのをやめドロスコイフの顔を覗き込んだ。
「いいですか?」
マスクをした白衣の男は、私の右腕に医療用銃を押しあてながら言った。銃のシリンダー内には白濁した液体が詰まっていた。
「空間を抜ける際、あなた自身はかなりのダメージを受けることになります。別の空間にたどり着いたとしても、そこで生殖し、子孫を残せるほど長生きはできないでしょう。そこでドロスコイフさんをはじめ、多くの人たちのDNAからつくったレトロウイルスに感染してもらいます。そのレトロウイルスが逆転写酵素を働せ、向こうで接触した相手のDNAを書き換えるのです」
私が頷くと、男は引き金を引いた。短い音とともに液体の全量が体に注入された。この瞬間、私自身が方舟になったのだと思った。
私の体はすでに方舟の中に収まっていた。ガンマ線バーストの発生はあと5時間後に迫っていたからだ。ハーネスによって体を方舟に固定され、あまり自由はきかなかった。バイザーを全開の位置まであげていたがヘルメットによって視野が制約されていた。そのためドロスコイフが覗きこんでくるまで、彼が近くにいることに気づかなかった。
「やぁ、気分はどう?」と彼は笑顔で尋ねてきた。