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沈黙のエンジェル

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 黒棹は頭を抱えていた。時間は確実に少なくなっていた。アンジーの素性を解明することが黒棹が織長にしてやれる最後の奉仕になりつつあった。
 そしてそんな黒棹が最後にすがったのが、“あの男”だったのである。

 男は空崖妄太郎(くうがい・もうたろう)=29歳=といった。
 その日、私が朝食を済ませたアンジーを縁側に座らせ休ませていると、車寄せに敷き詰められた石がジャリジャリと音をたて、銀色のとても大きな車が入ってきた。
 黒棹によると、その車は空崖のもので、ベントレーと言うそうだ。黒棹は20代の人間が乗るには少し不釣り合いだとも付け加えた。
 ベントレーから降り立った空崖は190センチくらいはありそうな長身痩躯で、濃紺のシャツの上に、あたかも車の色と合わせたかのような明るい灰色のスーツを着ていた。頭頂まで後退した髪を肩まで伸ばし、薄いひげをこれまた根気強く伸ばしていた。電球のような顔に薄い黄色の入った眼鏡をかけていた。
「あの人って、もしかして……」
「ああ、そうだ」と黒棹。
 その特徴的な容姿は見たことがあった。つい先日亡くなった往年の名女優、峰山奈美子=享年86歳=の家に出入りし、膨大な遺産を受け取った男として週刊誌やテレビのニュースショーで取り上げられ、世間をにぎわせていた人物だった。
 しかし、胡散臭い人物であることを匂わすその噂こそが、黒棹を信じさせていた。織長を通して奈美子を直接知っていた黒棹は、奈美子の並はずれた知性と洞察力に深い敬意を抱いていた。それは老境に差し掛かっても決して衰えていなかったと黒棹は言う。奈美子が信を置く人物なら相談してみたいと願っていたのだった。
 黒棹は、空崖を応接室に招き入れると1時間近く話しこんでいた。
 私がアンジーの部屋で、彼女の額の汗をぬぐっていると、ノックの音が聞こえ、黒棹に案内された空崖が入ってきた。
 空崖は何の感情も見せず、アンジーをしばらく眺めていた。
 やがて、黒棹の方に向き直って言った。
「少し時間をください。1週間後ではいかがでしょう?」
 黒棹がうなずくと、空崖はそのまま去っていった。

第2章 ソフトマシン

 1週間後、空崖がやってきたとき、黒棹から私もアンジーを連れて応接室に来るように言われた。
 アンジーを北欧製の洗練されたデザインの車イスに乗せ、応接室に入ると、中央には、これまでなかった60インチの大型液晶テレビが設置されていた。そのわきに空崖が立ち、私たちが席につくのを待っていた。
 すでに織長はやってきていて、液晶テレビの正面の小さなテーブルに向かって車イスを止めていた。その右隣のソファーには黒棹が腰をかけていた。私がアンジーの車イスを織長の左横に並べると、織長はいたわるよに彼女の手の上に自分の手を重ねた。私はソファーを引き寄せ、アンジーの左横に座った。
 テーブルの上には薄いピンクのガラスコップがあり、そこに入った紫色のアロマキャンドルに火がともされていた。少し刺激のある香りが辺りに充満していた。
「これで、みなさんお揃いですね」と空崖が低く艶のある声で言った。
 容姿は冴えないが、声は随分ましだった。魅力的とまではいかないが聞いていて苦痛を感じるようなことはなかった。もし、彼が容姿相応の声の持ち主ならば、彼の話に耳を貸す者はいなかっただろう。
「さて、これからアイス・エンジェル、通称アンジーと呼ばれる、この美しい娘さんの過去をみなさんと力を合わせて探っていくことにしましょう」
 そう言うと空崖は液晶テレビの前に歩み出た。
「ご承知の通り、アンジーは、こちらの言葉は理解するものの、自分では一言も発することができません。かろうじて英単語の文字を読み、理解することはできるようですが、自分の生い立ちを文字にして綴るということはできないようです。これまでの数々の調査はすべて失敗し、わずかにDNAの調査結果があるだけです。はたして彼女がどこで生まれ、どのように育ってきたのか。それを探るすべはまったくないように思われます」
 空崖は、これまでの情報を整理するかのように話すと、あたかもその言葉が浸透し、全員の共通理解になるまで待つかのようにしばらく間をおいた。
「では、ここで一切の制限を外し、どんな条件、どんな手段があれば彼女の過去を解き明かすことができるか、それを考えてみましょう」
 私は何も思いつかなかった。織長や黒棹も同様のようだった。アンジーに至っては空崖の問いかけさえ、理解しているかどうかあやしかった。
「答は実に簡単です。タイムマシンがあればいいのです。タイムマシンをつかって彼女の人生をたどっていけば、なんの手がかりがなくても真相が得られるでしょう」
 織長が怪訝な表情をして眉間に皺を寄せた。それに気づいた空崖はすぐに言葉を継いだ。
「そんなバカな、たわごとをとお思いでしょうが、しばらく我慢してください。24世紀か25世紀ならどうでしょう。ことによるとタイムマシンが発明されているかもしれませんね。そのタイムマシンに乗って過去に行ったとします。さぁ、ここからが重要です。タイムマシンの仕組みは想像つかなくても、過去を見たときの反応は想像できるということです。もっと詳しく言えば、過去を見たときの脳の反応・状態は、いまの私たちの脳でも再現できるということです。25世紀の人間の脳と、20世紀の私たちの脳はそれほど変わらない。500年かそこらのスケールでは進化はしない。つまり、過去の世界を現実と感じるくらいリアルに想像することができれば、タイムマシンと同じ結果が得られるということです」
 私も、織長や黒棹たちも少し話についていけなくなった。
「私はこれから、みなさんの頭のなかにタイムマシンをつくりたいと思います。本物のタイムマシンをハードのタイムマシンとすれば、みなさんの頭につくるタイムマシンは思考のタイムマシン、つまりソフトのタイムマシンです」
 何かがおかしいと思うのだが、それがどこだとは言えない、そんな気分だった。どこか目的と手段がずれているような感触がしていた。私は、そんなもどかしい思いを抱きながら、空崖の説明を聞いていた。
「ちょっと待ってとみなさんは思うかもしれない。たとえ思考のタイムマシンがうまくいくとしても、依然としてアンジーとはコミュニケーションがとれない。そんな彼女の過去をどうやってたどるのだと」
 そうだ、そのことだ。私がひっかかっていたのは。
それにしても空崖はなぜ常に疑問を先取りするような話し方をするのだろう。なぜ質疑応答の形にしないのだろうか……。
「だからこそ、みなさんに集まってもらったのです。アンジーとはコミュニケーションはとれませんが、黒棹さん、織長さん、瀬輪さんの3人とはコミュニケーションがとれます。そしてこの3人のみなさんは、アンジーの人生全体からみればわずかな時間かもしれませんが、それぞれ彼女にかかわってきました。その経験を最大限に活用するのです。ここにいる4人全員が乗れる思考のタイムマシンをつくるのです。その前に……」
 と、そこで空崖は区切ると、かたわらに置いてあったミネラルウォーターのペットボトルを手に取り、キャップを外して水を口に含んだ。
作品名:沈黙のエンジェル 作家名:廻 石輔