金木犀
一通り説明が終わって、原稿を大きな封筒に入れてから「コーヒーでいいかしら」とKさんが言って部屋を出て行った。打ち合せには原稿をひろげるので、その前に飲み物を出すと、うっかりこぼしてしまうおそれがある。そのため、打合せ終了後になるのだ。
「Sさん、お砂糖は」とドアの向こうからKさんの声が聞こえた。
「あ、昨日と同じでいいです」と言ってから、私はまだお礼を言ってないことに気づいた。
本棚を眺めているうちに、今は廃刊になってしまった雑誌が多くあるのに気付いた。私は懐かしさに、それを出してパラパラとめくった。私が結婚して子供が生まれたころ創刊された雑誌で、妻が続けて買っていたものだった。
ドアが開いて、コーヒーの匂いとかすかな女性の匂いが入ってきた。
「ああ、それね、私も記事も書いていたのよ」と、テーブルにコーヒーを置きながらKさんは言った。
「ええっ、そうなんですか。へぇー」と、私は雑誌とKさんの間で視線を行き来させた。
「あのころ私も若かった」とKさんは自嘲気味に笑った。そしてKさんは話を続けた。
「だんだんマンネリになって、そう、雑誌も私もね。それでオトコと一緒に編集プロダクションを作ってね」
Kさんの言ったオトコとは、たぶん友達以上の意味があるのだろう言い方だった。
「Fはね、いい仕事をするんだ」と一瞬間を置き「酒さえ飲まなければね」と少し突き放すように言った。
「Sさん、お酒は」ついでのように尋ねるKさんに「ちょっとだけ、付き合い程度」と答えると「あら、どのくらいの付き合いなんだか」と笑った。
「そう、ほどほどがいいよ」とKさんが言って、ゆっくりコーヒーを飲んだ。