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灰色蝶にウロボロス

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 そう言おうとしたところで、何と影から紫の煙が上がり始めた。じゅうじゅうと溶けているような音を立て、影が少しずつ小さくなっていく。そしてやがて、影は最初からなかったかのように消えてしまった。後にはアスファルトの地面だけが当たり前のように残っていた。まるで今まで見ていたものなど全部嘘だったかのように。
「はい、終了ー」
 限野の明るい声に我に帰る。
 その手には空になったペットボトルが握られている。
「そのペットボトルに入っていたの、ただのお茶じゃないの?」
「購買で百円で勝ったやつだけど、ちょっといじってさっきみたいな『妙なもの』を消せるようにした、言うなれば聖水的なお茶」
「聖水的なお茶って……何てありがたみのない響き」
「何だよ、そのありがたみのない響きのお茶のおかげで一宮は影の脅威から助かったわけだろ? もっとありがたがれよ」
 小さな子供のように不満がる限野を見ていたら気が抜ける。
「わかっている。助けてくれてありがとう。で、さっきの影って一体何だったの? 私は今まであんな物体にお目にかかったことはないよ」
「ああ、一宮はああいうのと遭遇するのは今回は初か。あれはだな、うーんと悪魔とか魔物的なあれ」
「……限野の日本語の乱れは嘆かわしいよね」
「俺一人の日本語が乱れてるみたいに言うなよ」
「聖水的とか魔物的とか、いい加減っぽい言い方するからでしょ」
「だって明確な定義のあるものでもねえし、それっぽい物としか言いようがないだろうが」
 明確な定義のない物体を一日に二つも見るなんて。何てわけのわらかない日だろう。今日はきっと厄日だ。
「そもそも魔物っぽいって言われたって全然ピンと来ないし。何であんなわけのわからない物体がこんな平和な通学路にいるわけ?」
「それはだな、俺らが現代日本のこの辺にいますよーってわかる奴にはわかるように吹聴したから」
 まるで一仕事やり遂げたかのような満足げな顔だ。
「まさかそれがさっき言っていた餌?」
「おう。その通り」
 輝かんばかりの笑顔で答えるこいつの頭に、一度隕石でも落ちてくればいいと思う。
「俺らは前回もあっちこっちで恨みを買ってたからなぁ。執念深い連中が恨みを晴らしに来てもおかしくはないだろーな」
 遠い目で語る『前回』。奇妙な言い方ではあるが、それは前世での話なのだろう。
 そうなのか。私は前世において限野の前世と共にそんなにあちこちで人様の恨みを買うような生き方をしていたのか。なら一生、死ぬまでそんな記憶など蘇らなければいいと半ば本気で思ってしまったじゃないか。
「って待った。それって前世の話でしょ? 本当にあっちこっちで恨みを買ったとしても、その人たちって今も生きているわけ? 限野の言う前回ってそんなに最近なの?」
 矢継ぎ早に訊く私に限野はけろっとした顔で答えた。
「まぁそう昔ではないけど、最近って感じでもないな。えーっとだいたい二、三百年前くらいか」
 軽い口調で言うから全然大したことのように聞こえないけれど、二、三百年と言ったら西暦一七〇〇年から一八〇〇年代くらい。日本ならば江戸時代半ばから幕末、明治にかけて。赤穂浪士の討ち入りがあったり、田沼意次が老中になったり、黒船が来たり、戊辰戦争があったり、大政奉還が行われたり、大日本帝国憲法が施行されたりした。
 これが世界史ならばマリー・アントワネットにナポレオンだ。アントワネットがオーストリアで生まれフランス革命でギロチンの露と消え、吾輩の辞書に不可能はないナポレオンが皇帝に即位したり、アメリカ大統領・奴隷解放の父リンカーンが生きて暗殺された時代。
 歴史の教科書で扱われ、当時の偉人たちは既に伝記として読まれ、その時代を生きた人々は既に墓の下だろう。
「限野」
「何だ?」
「私達は木にでもケンカを売ったんですか? 樹齢何百年の大樹に恨みでも買ったんですか? それともかなりご長寿のゾウガメあたりですか? あるいはクマムシですか?」
「あー木とか長生きだよなぁ。樹齢何千年とかな。ゾウガメもアドワイチャくん辺りは二五〇年いったかどうかって言われてるしなぁ。ああ、でもクマムシは二百年までは生きた記録って俺は知らないけど」
「冗談を冗談で返さないでよ」
 自分から話題を振っておいて恐縮だけど、何もそんなことに真面目に答えてほしいわけじゃない。
 じろりと睨むと、限野は悪びれる様子もなく言った。
「だって、そんなこと答えなくて本当は一宮だってわかるだろ? じゃあいいじゃん。俺、冗談好きだし」
「じゃあまさか本当に、前世でうっかり恨みを買っちゃった方々も今の世に生まれ変わっていて、前世の恨みを晴らさんと私達を狙ってきたりするとか言うわけ?」
「ご名答。ほら、ちゃーんとわかってるじゃんか」
 そんなことわかりたくもない。こんな荒唐無稽な答えが正解なら一生無知でいたい。
「て言うか、私達以外にも前世のことを覚えて生まれ変わる人なんているんだ?」
「そりゃいるさ。まぁかなり少数であることは確かだけど。でもって前回恨みを買った連中なんてどうせ俺らと同じ穴の狢だし、記憶を持ったまま生まれ変わるくらいはしてても驚かねーよ」
「同じ穴の狢って、私達は前世で一体どんな穴に入っていたって言うの?」
 ろくでもない穴であることだけは確かだけれど。
「そこは思い出せばわかるさ」
「何かもう、これ以上思い出さなくてもいい気がしてきた……」
「おいおい。そんな釣れないこと言うなって」
 茶化すように笑ってから、限野は思い出したように口を開いた。
「あ、そうそう。それでさっきの影はだ」
 限野は既に何の痕跡もないアスファルトの地面へと目線を向けた。
「あれは魔術だな。それは分かったか?」
「……全然」
 て言うか魔術って。今時魔術ってどうなんだ……とは思ったけれど、でも言えなかった。だって私は知っている。『そういうもの』がこの世に実在した頃を私は知っている。当たり前に魔術が存在した日々を、私の中の何かは覚えている。
「全然分からなかった。でも限野に言われて分かった。あの影はそういうものだって、今は嫌になるほどはっきり理解している」
「上出来」
 私の答えに限野は薄く笑む。
「一宮は意外に真っ当な人間っぽく生きてきたみたいだったし、今回は全然ダメかもなーとも思ったんだけど」
「意外に真っ当って失礼な。あ、でも私には限野みたいなことはできないと思う。魔術とか今で言う非現実が実在することは理解したけど。ちょっといじって聖水みたいなものを作ったりだとか、そんなことが出来る自信は全くない。て言うか私も前世でそんなものを作ったの?」
「作った。ものすごく」
 事もなげに答えられた。
「……駄目、思い出せない。実際に見たらしい前世の光景は目に浮かぶんだけどね、どういうことをしたかまではわからない」
「もうこうなると記憶喪失だな」
 そう言いつつもおかしそうに笑う限野。
「前世のことで記憶喪失とか言われたら世の中ほとんどの人間が記憶喪失だよ」
「他の連中はともかく、一宮は覚えていて当然だからな。そういう風にしたはずなんだし」
「そういう風に、ねぇ」
 確かにその辺はぼんやりと覚えていると言うか、理解しているのだけれど。
作品名:灰色蝶にウロボロス 作家名:初瀬 泉