灰色蝶にウロボロス
背丈は住宅の一階までくらい。その形はまるで頭、左右それぞれの上腕と前腕と五指のついた手、胴、左右の上腿と下腿と足でそれぞれ規格外に大きな金塊で造り、繋ぎ合わせたような姿。まさにゲームに登場するモンスター、ゴーレムだ。
そう説明すると、限野はまだ笑いながらこう言った。
「おいおい一宮。確かにそりゃあゴールデンゴーレムって感じだけど安直すぎるだろー?」
「名前はもういい! 相手がどういう奴か伝わった?」
携帯を耳に当てたまま、ゴーレムとは反対方向へ走り出す。
「おーう。伝わった、伝わった。まさしく相手はゴーレムだな。サイズはでかいけど。一宮、カバラ知ってる?」
「知らない! ……いやちょっと思い出しそう! でも集中できないから思い出せないかもしれない!」
「へいへい。まぁ今は詳しいことは省くけど、とにかくカバラっつー知識があるのな? ゴーレムはそのカバラの秘術で造った人造人間のことだ」
「あんなバカでかい人間なんていてたまるか!」
家に入ったら天井に届いちゃって大変じゃないか。
「だーから人間ではねーよ。人造の人間。人工物。天然自然モノみたいにはいかないさ。俺が知る限り、人間と呼べるような完成度のシロモノを造れた奴はいない。せいぜい昔のちゃっちいロボットレベル。言い換えればゴーレムも土製のロボットみたいなものか」
「確かに二足歩行がやっとっぽいけど」
後ろを振り返れば大きな動作で歩行しているゴールデンゴーレム。今にもバランスを崩して転んでしまいそうだ。
「ああ、ゴーレムってな、けっこうやばい奴はやばいんだよ。世界が滅ぶんじゃないかって騒いだ奴らもいるくらい」
「……それで?」
「けっこう頑張って殺しにくるかもしれないから、殺されないようにがんばれ」
そんなアドバイスは求めていない!
「殺されないようにするアドバイスを寄越せ!」
「ん。じゃあゴーレムを壊せばいいよ」
「壊せばいいよって」
簡単に言ってくれる。どうやってあんな金属製のでかぶつを壊せと言うんだ。戦車でも引っ張ってくればいいのか。
「体のどこかにさぁ」
限野は相変わらず緊張感のない声で言う。
「エメトって書かれてるから。それをメスにすればいい」
「えめと?」
「『emeth』。ヘブライ語で『真理』って意味。そこからeを取ると『meth』、『死』って意味になる。そうするとゴーレムは土に還る……らしい」
「……『らしい』って、何でそこだけ曖昧なの」
「一般にはそう言われてるってこと。額に書いてあるとか、口に書いた紙を入れたとかも聞いたな。それにそんな弱点をほいほいぶら下げるのも危ないし、体のどこか見えにくい部分にこっそり書いてあるかも。ああ、でも俺だったら今創るとしても、いざって時に壊しやすいように手の届く範囲にやるな」
「待った。もし口の中にそのエメト? って書かれた紙があったらどう頑張っても取れないんだけど。二階くらいまである大きさの奴の口なんて届くわけがないじゃない。見えないのを探すのだってあんなでかい奴相手じゃそう簡単には……」
「うん。だからその時はまた考えればいいじゃん。とりあえず探して来いよ。あ、肉が焦げた」
「あんたは狩りをやめろ!」
前世からの縁があるらしい相手が危機に陥っているというのにまだやっていたのか。
「けっこう面白くてさぁ。じゃあ俺はちょっくら討伐に行くから、一宮も頑張ってゴーレムを討伐しろよ」
「ゲームじゃないっつの! 制服とスクールバッグだけが装備でどうゴーレムを討伐しろと!?」
「えー何か武器っぽいもの持ってないのかよ。片手剣とか」
「そんなの持ち歩いている高校生がどこにいる! 銃刀法違反で即逮捕される!」
「じゃあ、この際ハサミでもいいよ。もし書かれているのが紙なら切れるだろ?」
「ハサミ? 多分持ってないと……」
スクールバッグを漁っても出てくるのはノートに教科書、ペンケース、ポーチ。ハサミの持ち合わせはない。
そうこうしているうちにも足音がゆっくりとこちらへ向かってきていると言うのに。
「くっそ、ハサミもない!」
「金ってのは柔らかいから、その気になればボールペンとかコンパスの針とかでも何とかいけるかも。紙なら手でも破けるし」
「ボールペンにコンパス」
慌ててペンケースを開けると、ボールペンよりもより一層武器らしい物が目に入った。
「カッター! カッターがあった!」
ごく普通の文房具だけれど、ないよりはいいはずだ。刃を出してみると短いけれど刃も残っていた。
「カッターか。うん、まぁ何とかなるんじゃね?」
喜びの声を上げる私に対して限野の反応は淡泊だ。周囲の雑音に混じってゲーム音楽が聞こえてくるから本気でゲーム中なのだろう。
「じゃあ一宮も狩り行ってこいよ。俺も狩ってるから」
そっちの狩りとこちらの狩りじゃ随分危険度に差があるけどね、と言おうと思ったけれどやめた。一応これは私が直面している問題なんだし、出来る範囲でくらい自力で行動するくらいはするとしよう。
けどあの巨大なゴーレムを相手に小さなカッターひとつが武器とはこころもとないが。
「……限野。参考までに聞きたいんだけど、ゴーレムってどんな風に攻撃してくる? こう、魔法を使ったりする?」
「俺が知ってるゴーレムはあくまで劣化版の人間。普通の人間の行動パターンとそう変わらない。殴る蹴るとかだろ」
「あんな金塊に殴ったり蹴ったりされた日には骨折じゃ済まない気がする……」
「でもけっこうノロマそうだし、行動に移すまでに若干時間がかかるんじゃね? そこを狙えば?」
「本当に簡単に言ってくれる……」
「大丈夫だって。一宮だし」
「どういう意味よ?」
「ん? だって俺が今この世にあるもので信じるものがあるとしたら、それは俺と一宮だけだから」
「……それ、あんまり女子に言わない方がいいよ。勘違いされる」
私は限野がそういう甘酸っぱい意味で言っているんじゃないということはわかるけど、大帝の女子だったら勘違いするだろう。
「一応心得ておく。お」
聞こえてくるゲーム音楽が緊迫したものになった。ボスクラスと対戦中か。限野は黙りこみ、コントローラーのボタンを連打する音が聞こえる。
「それじゃあまぁ、私も行くか」
この心もとない装備で。携帯を通話状態にしたままポケットにしまい、覚悟を決める。そして背後に振り返ってゴーレムと対峙した。
ゆっくりゆっくり、ずっと変わらぬ速度で奴は歩いてくる。重い足音で地面が振動する。
距離は二十メートルってところか。夕日が逆光になって影を作り、限野の言う文字とやらを探すのは難しそうだ。
見たところ、紙をぶら下げている様子はない。
「……あの鈍足なら、走って見て逃げるくらい出来るよね」
スクールバッグを道端に置き、大きく深呼吸してからゴーレムへと突っ込むように走り出した。
突然向かって来られて困惑したのかゴーレムは歩みを止め、腕を上げようとしてやめたり、左右を窺うようにしたりしている。
そのまま固まっていてくれと思ったところで、ゴーレムの右腕がこちらへ伸ばされた。
やっぱり攻撃してくるのか。