灰色蝶にウロボロス
走るのをやめ、後ずさろうとするとゴーレムの大きな手のひらがゆっくりと近づいてくる。あんないかつい手に握られた日には粉砕骨折する。
もう一度逃げようと決めた瞬間、それが視界に入った。
伸びてくるゴーレムの右手のひら。そこには一枚の白い紙が貼られており、はっきりとした文字で『emeth』と書かれていた。
「あった!」
叫ぶのとほぼ同時、ゆっくりと私へと向かってくるゴーレムの手のひらの紙を、力いっぱいカッターで切りつけた。
途端、ゴーレムの動きが停止した。そして手のひらから『e』と書かれている部分の紙が地面に落ちた。
その固まった右手のひらに残ったのは『meth』。死。
「……やった」
無意識に落ちた呟き。それと同時に、ゴーレムの体がぶるぶると震え出した。身構えようと思った時、震えるゴーレムの体が金色から土色に変色していった。
状況を呑みこめないままの私の目の前で、土色になったゴーレムの体が中心から崩れるように飛び散った。
これが限野の言っていた、土に還るということなのか。
あれだけの大きさのゴーレムを構成していただけあって、すさまじい量の土があちらこちらに散っている。目の前にいた私の上にもこれでもかというくらい降って来た。
乾いた土に泥っぽい土が全身に降ってくる。
何とも言えない不快な体験……のはずなのに、私はその場から動けずにいた。
入学式の日とは比べ物にならないくらいの膨大な量の光景が、音が、感触が私の中を巡っていく。
ああ、ああ。
――失敗か。どうもこれはうまくいかない。
この降ってくる土を見たことがある。
――念のため壊しやすくしておいてよかった。
こんな風に土と泥を被った。
――しかしこの壊れ方は美しくないな。おかげでこちらまで泥まみれだ。
足元に落ちた、『e』と『meth』に分断された羊皮紙。
そうだ、そうだった。
大きなゴーレムを作っても、万が一の際は破壊しやすいように、手が届きやすい場所に紙を貼ったんだ。
――せっかく手間をかけて金に換えても、死ねば土に戻るのは人間らしいか。
そう。土を金に換えたんだ。
金色のゴーレムなんて派手で悪趣味で面白いと思って。
でもあまりに動きは鈍く複雑な命令も聞けない、理想には程遠い失敗作だった。
そうだ、創ったんだ。この手で。でも失敗だったからこの手で破壊した。そして、土と泥まみれになったじゃないか。
他の誰でもない、私が。
まだ私じゃなかった自分が。
「……ああ、そうだった。そういうことにしたんだったか」
土と泥まみれになったまま、私はひとり呟いた。
ポケットの中の携帯からはまだゲーム音楽が聞こえていた。