漢字一文字の旅 第一巻(第1編より第18編)
十六の五 【鍋】
【鍋】、この字の右部は元々死者の残骨を器に入れて祈ることとか。そして、丸底の金属製の器を【鍋】というらしい。
そんな【鍋】、冬はなんと言っても【鍋】料理だ。
寄せ鍋、ちり鍋、もつ鍋、牡丹鍋、それに最近はカレー鍋まである。
ざっくざっくと切った白菜などと魚に鳥、そして肉など…、鍋奉行の指示にしたがいグツグツと炊けば美味しい鍋となる。
カロリーも低く、かつ栄養のバランスも取れている。その上にホッカホカと暖まり、まさに命が蘇ってくる。
しかし、こんな文句の付けようのない【鍋】、ある【鍋】だけは…ちょっと危ない。下手すると命の危険さえもある。
それは『闇鍋(やみなべ)』。
要は、食材は一品持ち寄りで、秘密。鍋の湯が沸騰してきたら、電灯をパチンと消す。これで室内は一寸先も真っ暗闇。ここで、各自持ち寄りの秘密の材料を鍋に放り込むのだ。
つまりこんな『闇鍋』、あくまでも各位の善意で成り立つ【鍋】なのだ。
学生時代、冬の下宿、それは極寒状態。ここは暖まりたい。悪友たちと【鍋】でも食べようかと。
しかし、みんな極貧で、人にお見せできるような食材は買えない。
ならば、善意ある友情を信じ『闇鍋』でと。
下宿の裸電球を消した。四畳半の部屋は真っ暗闇に。
悪友たちの食材が【鍋】に放り込まれた。そして、ぐつぐつと。
煮たって、さあ食べようと摘み上げると…、なんと野菜のヘタばっかり。八百屋からただで分けてもらってきたのだろう。
それと得体の知れぬ、犬がしゃぶるような骨付き肉、いや完璧に骨。これも肉屋のお下がりか?
そして、中に湯葉のようなものが…ふわりふわりと。
摘み上げれば、レースのハンカチ。
友人の弁によれば、マドンナのノンちゃんにもらってきたとか。
その言い訳は、鍋をマドンナ味にしたかったとか。
こんな『闇鍋』、もちろん善意で成り立ってはいたが…危険過ぎる。
しかし、それは充分以上に、心だけは暖めてくれたのだ。
とにかく、【鍋】、箸でつついた数だけ、思い出を刻んでくれるものなの…かもな?
作品名:漢字一文字の旅 第一巻(第1編より第18編) 作家名:鮎風 遊