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炎舞  第一章 『ハジマリの宴』

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 迦楼羅の間。
 法堂を連想させる、静寂で開けた一室。奥にひっそりと立つ白い屏風が、色の濃い木材で作られたこの空間と見事に調和している。屏風の脇には意識的に作られた太い木の柱。迦楼羅天の鳥頭人身である姿が彫られ、隣接する蝋燭の炎の揺らぎが彼らに命のない表情を作らせる。後ろ、左右を屏風で囲うように存在するのは壇上。その上に正座する、一人の女性。
 上質な生地の着物と毛先のそろった黒い髪。まるでこれから茶をたてようかという姿勢のよさ。膝の上に重ねておく指先は白魚のごとき繊細さで、日本美人が持つ寒椿のような凛々しさを感じさせる。しかし、あまりに破綻なく整った美貌はどこか冷たく、つくりものめいた感すらある。
「沖田嵐、砕鬼風間、霞川美世―――。参上いたしました」
 嵐の声が凛然と、広い部屋に静かに響いた。壇上の女性から距離をとり、三人は用意されていた座布団に腰を下ろす。
「……嵐、報告を」
「はい、火蓮様。火の男の追い込みには成功したものの……力及ばず、取り逃がしてしまいました」
「天神三人組の力をもってしても敵わぬほどの力を持つのですか」
「……申し訳ありません」
「…まあ良いでしょう。今回は急ぎ過ぎたようです…ご苦労」
 火蓮が表情のないまま、抑揚のない冷たい声で言った。「ごくろーガルーダ❤」「次は絶対とっ捕まえてやらぁ」と、嵐の両脇に座る二人はそれぞれの言葉を発する。
「―――あの、火蓮様。静から言付けをお預かりしました。一千年前の…〝神明〟の魂を復活させる方法について、お聞かせ下さるとか……」
 さりげなく切り出した嵐は、真っ直ぐに火蓮を見据えた。
「ったく、未だに詳しく聞かされてないのオレ達だけだぜ!? 信用されてねーのかよオレらは」
「風間!」
 嵐の窘めに不満そうに口を尖らせる風間。だが、〝核〟なことは知らされないまま命令に従ってきたのだから、怒り心頭の風間の気持ちもわからなくはない。
 今日という日―――転生した火の男が姿を現したこの日にこそ、我々の〝悲願を成就〟するべく方法を話す、そう火蓮から言われきた。しかしその理由―――、天神三人組と呼ばれる嵐達にのみ、伝えられていなかった理由(わけ)とは。
「今日まで、よく辛抱しました」
 嵐の思いを見透かしたように、火蓮は口を開く。
「ですが…お話する前に一つ、あなた方に約束してもらうことがあります」
 そう前置きして、
「これから私が話すことに対して、一切の感情を持ってはなりません」
 殺伐と言い捨てた。
「どーゆーことだよ」
 意味がわからず、風間が口を出す。冷たい眼差しだけを彼に向け、火蓮は静かに応えた。
「あなた達は我々の中で、一番感情的だからです」
「―――なっ」
 浮きかけた風間の腰を、嵐は彼に向かって掌を突き出し制止する。
「私達は今まで、不変の真理を違えることなく椿様に忠誠を誓ってきました。それは火蓮様もご存じのはずです」
 嵐は真剣な顔で火蓮を見つめ、
「―――何故です。感情的になるのは人間として、ごく当然のこと。納得のいく理由をお聞かせ下さい」
 と尋ねた。
 火蓮は目を伏せながら、低く呟く。
「―――今回の任務……正直、あなた方には無理だとわかっていました」
 ―――――。
 三人の間に、しんとした沈黙がのしかかる。
 風間が声にならない笑いを呼気で発したのを嵐は感じとるが、腹の底からの怒りを含んでいるのは明らかだ。任務に失敗し、非難されるのならまだわかる。しかし失敗するのがわかっていながら向かわせるとはどういうことか。なら、何故―――。
「何故行かせたのです。おかげで我々は火の男に恥をさらす結果になったのですよ」
 膝におく拳をぎゅっと握りしめ、嵐は目を眇めて正面に座る火蓮を睨みつける。
 ゆっくりと開眼した火蓮はそれを平然と受けとめ、浅く溜め息を零した。
「…あなた方は弱くない。…いえ、むしろ強い。自分を強く見せようとする本能的な心の動きは、あまりにも強すぎるくらいです。あなた達は硝子のように強く―――そして、脆すぎます」
 解せずに首を捻った三人に、火蓮はこの場で初めて見せた小さな苦笑いを浮かべる。
「今回の目的は火の男だけでなく、あなた達の分析調査でもありました」
「? ぶんせきちょうさ、って…?」
 美世が眉宇を歪ませて呟く。
「感情というものは時に必要であり、時に邪魔であるもの。例えて言うのなら、涙―――。涙は人の脆さを表し、脆さは人に付けいれられる急所となる」
 そして一呼吸おき、火蓮は美世と風間を交互に見た。
「美世は快楽―――、風間は怒りの感情に身を任せることが多いです。薬と同じように適量なら効果あるものを度が過ぎれば……自らを追い込むことになります。そして―――」
 どこか、鋭い痛みに耐えているかのような―――それを覚られまいと、つとめて無表情を装っているかのような彼女の方へ、火蓮は視線を移した。
「嵐。あなたはこれから私が話すことを聞けば、嫌でも自分の心を動かしている無駄な感情に気づくはずです」
「……」
 おし黙ったまま、思案している様子の嵐。床に留まっていた視線がゆるりと動き、嵐は憮然と火蓮へ顔を向けた。
「そのような調査、誰が受け持ったのです。今回限りの調査ではございませんね?」
 強い語気のまま、火蓮の返答を待たず続ける。
「むしろ私達が闘っている場にその者もいた……叶緑子ですか?」
 漆黒の衣を身にまとう美貌の忍の名を口にした。身のこなしの素早さが適され、追い込みの任を与えられた彼女だが、元より諜報や隠密行動を得意とする。嵐の考えは妥当だった。しかし―――。
「いいえ。この任務は独自、朧に任せました」
「朧ちゃんが!?」
「あの野郎ー! 追い込み途中でほっぽりだしたのもそのせいかよ!」
 美世と風間が同時に声をあげた。
「影でオレ達を監視してやがったんだ! ちっくしょーっ胸クソ悪ぃヤツだぜ!!」
 怒りを露に、風間が拳を床へ叩いた音が響く。対照的に嵐は瞬きをひとつしただけで黙っていた。息を大きく吸い込み、それから腹にある鬱憤を追い出すかのように、取り込んだ酸素を緩やかに長く吐き出す。そして形の良い唇を、きつく結んだ。
 遙か遠くを据えるようなその様―――。彼女なりの〝意志表示〟だと捉えた火蓮は、静かに呟いた。
「…余談が過ぎました、そろそろ始めましょう。我らの御方様が望む―――」
 蝋燭の炎が、一瞬大きく揺らめく。
「悲願の未来の原初を」