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てっしゅう
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哀恋草 第六章 京入り

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第六章 京入り


影光が訪ねてきた時より一月ほど前に、景時(梶原景時=頼朝の有力御家人)の家来がこの村にやってきて、村長のところで義経の手配書を渡していた。その時に、平氏にゆかりのある勝秀が時折訪ねていた久の住まいを話してしまった。家来たちは交代でしばらく滞在して様子を窺っていたが、数日前に時政(北条時政)が入洛するというので京へと帰っていったところだったのだ。その話を影光にはしなかった。村長は、久や勝秀と面識のあった影光を疑ったのだ。酒をもてなして安心させ、ひょっとして何かの接点が見つかるかも知れないと、様子見を始めていたのだった。

「わしはひょっとして疑われたのかも知れんな・・・京の動きが活発になってきたゆえ、この地も安堵のためには従わざるを得ないでのう・・・殿が心配になってきたわい。今夜旅立つとするか・・・」そうつぶやいて、影光は身支度をした。普段着で村長の所まで行き、明日の朝旅立つので挨拶に来た、と話した。また立ち寄ってくだされ!と言葉を返した村長と妻の二人は表まで送りに出て、後姿に手を振ってくれた。

影光は戻るやいなや、身支度を変えて、その日の亥の刻(22時ごろ)過ぎにそっと旅立った。村長の妻が早朝に握り飯を持って訪ねたが、もうそこには影光の姿はなかった。妻の後から忍ぶようについて来た影武者風の一人が、「やられたか・・・奴は知っておったな!そちたちの落ち度になるぞ!」と怒りを顕わに怒鳴った。妻は腰が抜けそうになる恐怖を覚え、家に帰ることもままならなかった。

日が高くなる頃、影光は作蔵の元へと帰ってきた。しばらくぶりで義経と対する事になった喜びよりも先に情勢の不安を訴えるべきだと感じていた。

「殿、只今戻りましてございます。火急に奏上したい義がござりまするゆえ、お人払いを願いたく存じまする」
「影光、ご苦労であった。人払いとな・・・うむ、みよは妻ゆえ遠慮はせぬことじゃ。ここの皆にも隠し事をせぬように」
「心得ましてございます。京では北条時政殿守護職になられました由、1000騎の兵が付き添った模様聞き及びました。また、景時殿近隣に兵を差し向け、殿の手配書を配るなどして警戒を強めてございます。私も危うく追っ手に後をつけられそうになる始末。この地も安心ではござりません。早々に居場所を変えませぬと必ずや追っ手が参りましょう」

「影光様、父勝秀様は・・・ご様子が窺えましたか?」光は乗り出すようにして聞いた。
「残念至極にござります。方々に聞き尋ねましたが、消息はつかめませぬ・・・残るは、法皇様(後白河)が匿っておられるか、他方へと逃げ延びられたか・・・」
「そうであったか、致し方あるまいのう。光殿、ご心配であろうが今しばらくご辛抱なされよ」
「・・・はい、大丈夫でございまする。ご尽力ありがたくお礼の言葉もございません」光は深く頭を垂れた。影光はその姿に己の無力さを恥じた。義経は皆をねぎらい、今宵の宴を催した。光はその席で笛を聴かせた。想いがそれぞれの心に響く夜が更けていった。

吉野に戻っていた久は少し所用で仲の良い維盛家臣の妻たちと平城(なら)に出かけていた。街は吉野とはちがい賑わいを見せていた。興福寺も守護職に任じられその勢力は東大寺と共に鎌倉からは一目置かれていた。久が用事を済ませて宿に戻る途中で、数人の騎馬隊とすれ違った。この辺りでは見かけないその成りと旗印に、一緒にいた妻たちが「鎌倉のしるしだ!」と久に言った。亡き維盛から聞き及んでいたそのしるしを覚えていたのだ。

久は骨肉の争いで京から逃げて来たから、鎌倉の事は見知らぬままにここまで来た。妻たちは夫から戦場の話は聞いていたから記憶に刻んでいた。
「久さま、鎌倉は何故この地にこの様に甲冑で来ておるのじゃろか?」
「それは分かりませぬな・・・」分からぬはずはなかった。しかしそれは言えない事だった。
「今夜は早くに寝て明日の朝早くに戻ることにしましょう」
「はい、分かりました」妻たちはそれ以上聞くこともなく久と一緒に宿について早くに寝床に入った。

久は考えていた。これはきっと義経様の捜索だろうと。ここから吉野への疑いは時間の問題でやってくるだろうことも。一蔵に報告をして、その後どうするのか、みよのこと、みよとピッタリくっついている光のこと。それぞれがバラバラになることなど考えられないとすれば、自分はどうしたら良いのか・・・妻たちの寝息を聞きながら、この人達の危険も無いわけでは決してないから、その心配も襲ってきた。まずは作蔵の家に行き義経さまと話し合うのが一番と考えがまとまった。12月に入ろうとする肌寒い平城の夜だった。


義経は深夜になって皆が寝静まった頃に影光を呼び寄せ話をした。
「ここも離れぬと皆に迷惑がかかろうなあ」
「そう心得まする」
「うむ、みよには済まぬがわしとおぬしでここを離れよう。何か妙案はないか?」
「考えておりました。一方ならぬ贔屓を賜った上皇様にここはひとつおすがりしてしばらくの安住を求めることがよろしいかと・・・」
「なに?京に戻るとな!」
「はい、上皇様の情けで匿っていただき、準備を整え北陸道から奥州へと秀衡様(藤原姓、ひでひら)の元に参りましょう」
「・・・そうじゃのう、私にとっては父上のようなお方、余生は孝行して藤原氏の繁栄に貢献しようぞ。影光も力を貸してくれるか?」
「もったいないお言葉・・・嬉しく存じまする。命に代えましても殿を必ずや奥州に無事到着までお供いたしまする」

影光はこの時にすでに幾つかのお膳立てをしていた。その考えどおりにことが運ぶほど景時は甘くなかった。和束村での失態に檄を飛ばし京よりかなりの精鋭部隊が平城と宇治周辺に警戒を強めていた。義経が動きだすよりも早く、景時の軍は吉野に向かうことになる。しかし、時は12月の暮れ、正月の準備に世間は明け暮れている。景時を始め時政も鎌倉に一旦引き返していた。正月に頼朝に挨拶をしなければならないからだ。年が明けて文治2年(1186)の春が来た。

鎌倉では年頭の挨拶が終わって頼朝が側近の景時に苛立ちを伝えた。
「景時、義経の所在はまだ分からぬのか!」
「殿、九郎さまは身の軽いお方、そう簡単には居所がつかめませぬ。それより、景時には秀衡が住まいに向かっておるか、すでに匿われておるかに考えまするが、今一度詮索の命を戴けませぬか?」
「うむ、わしもそう考えおった。奥州は今一度書状を送ろう。景時は早速に京に戻り捜索を強めてもらいたい」
「かしこまってございます」

離れた所でこの話を聞いていた舅の時政は景時が席を離れるのを見計らって、近づいてきた。
「頼朝どの、時政に考えがござる。聞いていただけぬか?」
「舅どの、考えとは・・・九郎のことか?」
「はい、そうでござる」
「して、考えとは?」
「九郎にはきっと傍に妾がおろうと察しまする。女子を京周辺に遣わせて探らせ、その身辺を当たれば行き着くかと考えてございます」
「なるほど・・・女子・・・か。しかし、警戒心の強い九郎のこと、匿っておると思うが・・・」
「女子衆の噂話好きは必ずや風聞になって伝わってござる。心開く者がおれば聞き及ぶことも可能かと・・・」