弦 月
一族の長が住まいする、棟が円形の長屋の中央に、自由に出入りが許されない東屋(あずまや)があった。それほど豪勢な造りの東屋ではなかったが、床の広さで言えば、一家族が住むよりも広く、何か厳かな匂いを漂わせている。中庭になった長屋の中央に、高床式の床が一段と高く組まれ、梯子には干からびた海草やら小魚が飾られていた。食物倉のあるようなネズミ返しがなく、床下には樹皮で作られた簡易の壁が張り巡らされていた。中央には香を焚く祭壇らしきものはあるが、くゆる煙は儀式の折、何度か見たことがあるだけだった。
梯子の上の建物は、扉はあるものの、樹皮とアダンの葉の壁がぐるりと取り囲んで窓はなかった。
幼い瑠都と姉はその東屋の周りを遊びの場所として好んで使っていたが、この東屋の中へは一度も入ったことはなかった。
幼い体を壊れた壁にねじ込んだり、すだれに編まれた、装飾の垂れ幕の陰に隠れたり、床下に身を潜めたりして遊んでいた。
その日も瑠都は東屋の下壁に身を隠そうともぐりこんだ。妙に近くに姉の声がする。姉に見つからないようにするにはと、きょろきょろ辺りを見回して、瑠都は思わず壁を這い登って東屋の内部に入り込んだ。
中はしんとしていた。アダンの葉で編まれた壁からは、南国の日の光が宝石のように透けて見えた。窓もないのに空気がこもっていず、ひんやりとしていた。
その東屋の真ん中に不思議なものが立っていた。
瑠都は凍った時間に身を置くように、そのものに魅入った。
それは娘の体をかたどった像だった。しかし、その像にはあるべき上半身がなかった。
幼い瑠都にはそれが何でできているのかわからなかった。なんのためにそこに納められているのかも、知らなかった。
まるで生きているような艶と照りがその肌を覆っている。胡蝶貝の真珠の光沢を刷毛で掃いたような細かい微粒子を纏っていた。その像はちょうど臍のあたりから上が、切り取られたかのように失せて見えた。瑠都はおずおずと近寄った。禁忌の東屋に入ったことの罪悪感が、彼の背中に冷たい汗をかかせたが、眼はその像から離れなかった。その切り取られ方が尋常ではなかったからだ。ふっくらとした腹部の上方が空間に滲みこむような消え入り方をしているのだ。
なんだろう。
瑠都はおずおずとその周りを回ってみた。
その下半身は見るたびに形を変えているようにも思えた。白い腰布が微妙に襞の具合を変える。日の光の当てられかたによって見え方が違うのかもしれなかったが、右足と左足の配置が眼を移すと変わっているようにも思った。あまりに不思議な人の下半身。奇麗だった。あまりに奇麗過ぎて瑠都の体に吹き出し流れた汗が凍るかと思われた。
瑠都は東屋を駆け出して母に問いただした。だが母は、悲しそうに眼を伏せた。
「東屋には入ってはいけないよ。呪いが募るから」
「どうして? どうして呪いが募るの? あれが呪いとどう関係があるの?」
「あれは、‥‥呪いの半身なのだから‥‥」
「半身‥‥」
母の言葉は多くを語らなかった。だが、瑠都はそんな母の忠告を遊びのたびに忘れ去って、度々その像を盗み見ることが多くなり、幼い心に仄かな憧れを刻んでいった。