夢幻双子
ヘ・ン・カ・ク
目覚めてすぐに目に入ったものは、鮮やかな色の入り乱れる天井。
眠り空間かと一瞬思ったが、そうではない。かといって夢境というわけでもなさそうだった。ましてや、それが自分の部屋であろう筈もない。
ゆっくりと辺りを見回すと、そこが円錐形に近い卵の内側のような型の空間だと言う事が分かった。壁は常に変化する特殊な壁。見た限りではどこにも扉らしきものがない。さながら、完全密封の独房のような。
いや、ようなというよりもむしろそうなのだろう。
きっと、自分の処分が決まるまでの仮処分。 そっと自分の右目に触れた。
夢魔が、自分の夢器がここにあると言った場所。
この中に、自分の夢器がある。
そしてこれで、由依を、殺した。
ぎゅっと手を握り締める。
「由依……」
だれよりも大切な自分の半身。こうして「女」になって、そして由依を失ってはじめて気付いた。由依の心に。
ただ、もう遅い。
血まみれになった由依の体を思い出す。
由依はもう、死んでしまったのだ。
『礼依』
突如間近で声がして、驚いて顔を上げた。 一人の青年が、いつの間にか立っていた。 穏やかな笑みを浮かべる、優しげな青年。 どこかで会ったのか、酷く懐かしい。
『こうやって面と向かうのははじめてだったかな。私は夢使い。この世界の、そしてお前の父でもある者だよ』
夢使い。
呆気にとられてその姿を凝視した。
この夢の世界の神ともいえる人が、なぜこの様なところにいるのかと。存在そのものが本物なのかと、穴が開くほどにじっと。
そうやって夢使いの姿を見つめたまま微動だにしない礼依に、その本人が苦笑した。
床に座り込んだままの礼依に歩み寄って、礼依の視線と合わせるためにその場に膝を折ってしゃがみ込む。
そっと、伸ばされた手が礼依の頬に触れた。 温かかった。そして、やはりひどく懐かしかった。
夢使いは呆然としたままの礼依の顔を両手で包み込み、穏やかに笑う。
『ここがどこだか分かるかい、礼依』
ゆっくりと、礼依は相手の目を見つめたまま首を降った。
不思議な色。引きずられそうになるくらいに、心惹かれる色。眠り空間の色だ。あの定まらない鮮やかな色の世界と同じ。とても美しいと思える色。
その瞳が、ふと悲しげな冷たい青に染まっていく。
『ここは、夢境の中枢部分だよ。普通ならば、夢魔を封じる場所だ。夢魔を封じ、正しき夢に戻す場所』
ああ、聞いたことがある。夢狩りが捕らえたり、倒したりした夢魔は、夢境のどこかで封じられ、正しき夢に戻されるのだと。
それがここ。自分が今いる、この場所。
自分がどうされるのか、なんとなく分かった。そして、夢使い自らが出向いてきた理由も。自分はここで恐らく夢魔と同じように封じられるか、夢に戻されるか。
それだけのことをしたのだから当然か。夢魔と同じだけのことを、自分はしてしまったのだから。どのみち、「女」となってしまった自分が行き着くような場所は似たようなものだった。ただそれが罪人であるかそうでないかの違い。もう、こうなれば潔く受け入れるしかない。
美しいだけの、夢使いの瞳を見ていることができなくて、視線を落とす。そう、自分にはその資格はないのだから。
『礼依、私は君を封じるつもりできたわけではないよ。もちろん、君を夢に環すつもりで来たわけでもない』
え、と、驚いて顔を上げた。
夢使いの目は、穏やかに笑っている。
『私は君に、ある夢を見せようと思ってきたんだ』
夢……?
いったいそれはどういうことか。
『君は知らなければならない。そして気付かなければならない』
夢使いの手が目の前にかざされた。途端に意識が何かに引っ張られていく。
音が遠くなる。
回りの景色も歪んで、ぼやけて。
ふわりと何かに包み込まれるようだった。 深い深い、意識の海に飲み込まれ、沈んでいくようだった。
闇が目の前を埋め尽くしていた。
ほんの僅かな光すらなく、何も見えない。 重い空気。それに押しつぶされそうになる。 自分はただ一人で、その闇の中を何かに押しつぶされそうになりながら、さまよっている。
ここは、どこだろう。
辺りに視線を巡らせた。
ただ深い闇ばかりで、何も見えない。
『……だ……』
ふとどこからか声が響いた。
急いで辺りを探す。
僅かな、ほんの聞こえるか聞こえないかの小さな声だったけれど、その声には聞き覚えがあったから。
『礼依なんて…嫌いだ……』
突如背筋が凍り付く程の悪寒がはい上がる。 由依が、立っていた。
「由…依……」
真っ直ぐに自分を見据える由依の瞳は、明らかに憎悪の色に染まっていた。
『やーい、由依ののろまー』
『おまえなんて礼依がいねぇと何にもできないくせに』
やーいやーい
背後から、今度は幼い子供の声。
振り返る。
以前にもどこかで見たような光景。
いじめっこが、真ん中で泣きそうになっている由依を囲んでいた。
『やめろおまえらっ!!』
『うわぁ!礼依だ!にっげろー』
いじめっこの子供達が、幼いときの自分が現れた途端にわっと散っていく。
全員が消えていなくなると、幼い頃の自分は由依を振り返って、大丈夫か、といつもの台詞。由依はただうつむいたままうなずくだけ。
『また何かあったら俺に言えよ?俺が絶対由依のこと守ってやるからな?』
幼い礼依が、由依を支えて歩きだす。
二人の姿が光に溶けるように消えていく。 これは、あの時眠り空間で見たものと同じ。
『守ってもらいたくなんてなかった……』
視線を向けるとそこに、由依が立っていた。 同じ。
『礼依に守られるのが嫌だった』
右隣にもう一人。
これも同じ。
『僕だって礼依に守られなくても平気だったのに』
背後にまた現れる。
そしてこれも。
『礼依が嫌いだった』
正面。
無表情な由依が、冷たい色をたたえた瞳で、こちらを見つめていた。
これが由依の本心だったのだ。
今の自分とまるで同じ。
『僕だって、君のことを憎んでいたよ』
『僕だって、君のことを幾度も殺そうかと思ったよ』
『僕はそれでも我慢していたのに、君は僕に手をかけた』
「ごめん……由依……」
自分が由依を傷つけていた。
ずっと傷つけてきた。
それでも由依は黙っていてくれたのに、自分はそれを裏切った。
どんなに謝ろうと許されるもののはずがない。
それだけのことを、自分はしてしまった。 そしてもう、すべては遅い。
『礼依……』
びくりと、体が強張った。
『でも僕は、それでも礼依が好きなんだよ』
「え……?」
耳を疑って、顔を上げた瞬間だった。
視界一杯に光の洪水が広がった。
光が晴れていく。
咄嗟にかばった目から腕を下ろした。
目の前に夢使いの姿があった。
『どうだった、礼依。これが由依の真実だよ。これを知って、君はどう感じている?』
夢使いがじっと、真っ直ぐに自分を見つめる。