夢幻双子
ブ・ン・レ・ツ
それは、「女」という生き物だった。
「礼…依……」
何と声をかけていいのか分からない様子の、由依の声。
どこか哀れむようなそれが、ひどく不快。
なぜ。
どうして。
これは女ではないか。
これは自分が望んだ夢狩りの姿ではないではないか。
認めない。
認めたくない。
自分はこんな物になりたかったわけではないのに。
すべてをこの手で守るのが、夢だった。
この世界ごと、由依のことを守のが、夢だった。
なのに、「女」にされてしまった。
そして由依は、「男」。
夢は、費えてしまった。
あまりにもショックが大きすぎて、声すら出なかった。
呆然と、ただ自分を見下ろすだけ。
頭の中はいろんなものが入り交じりすぎて、同じ事だけが繰り返される。それ以外のことが何も考えられない。いや、何も考えたくはなかった。
「おやぁ?おもしろいのがいるなぁ。なりたての夢狩りくんたちかな?」
突如として、どこからともなく呑気な声が響いてくる。
辺りを見回しても姿がない。
のんびりとした声音なのに対して、辺りの空気が余りにも張り詰めていた。肌がピリピリする。
由依は無意識に、いつのまにか手にしていた一本の棒を握り締めた。
とてつもなく嫌な予感が体中を駆け巡っていた。
自然とからだが震え始める。
空気がどんどん何かによって重圧をかけられているかのように重たくなっていく。今までは鮮やかな色ばかりだった周りの眠り空間も、次第にどす黒い闇の色を帯びてきていた。
何かがいることは分かった。
ただ、その何かが何なのか確信がない。
「ああ、そうか、そろそろ夢狩りの選抜試験の時期だものな。それにしても運が悪いねぇ、君達。いつのまにか安全な疑似空間から本物の眠り空間に出てきてしまうんだから。君達のようななりたての夢狩りは俺たち夢魔の格好の的になるっていうのに…」
夢魔。
一気に体中の血が引いた。
体の震えが一層大きくなる。
がちがちと歯が鳴る。
「そんなに震えないでよ」
目の前の闇がより一層深まった。
深い闇が揺らめいて、闇の中に現れた赤い二つの光が、ぎろりと由依の目を射抜く。そしてさも楽しそうに不気味な笑みを浮かべる。
黒い影は徐々に人の形を取っていき、その闇の中から一人の男が生まれる。
闇色の、真っ黒な男。唯一の色が、その瞳の血のような赤。
「はじめまして、新しい夢狩りくん。俺はレーベル。さっき言った通り夢魔さ」
レーベル…。
見た目は穏やかなのに、どこか恐ろしいくらいに冷たい微笑み。
冷や汗が体をぐっしょりと濡らした。
「おや、もう一人いるようだね。しかも、そっちは女の子かい?かわいいね」
くすくすと、礼依を見て笑っている。
礼依は、呆然としたまま全く動かない。
「おやおや、そっちの娘はほかのことでいっぱいなのかな。残念だ。俺を見てくれないなんて」 すい、と宙を滑って、レーベルと名乗った夢魔が礼依に近付く。
「や…やめろ!礼依に近寄るな!!」
叫んだ。
ただ叫んだだけ。
体が動かなかった。足が震えて一歩も動けない。
「間近で見ると本当に可愛らしいね。俺がもらっていってやろうか」
くすりと、夢魔が笑った。呆然としたまま身動き一つもしない人形のような礼依の、青白い肌にその指を滑らせていく。動けない自分をあざ笑い、わざと見せつけるように。
「やめろ…礼依に触るな!!」
何か大きな感情につき動かされた。震えて動けなかったはずのからだが。
握り締めていた長い棒をめいいっぱい振り上げ、振り下ろす。
夢魔めがけてうなるそれ。
だが、それが夢魔を捕らえたかと思った瞬間、夢魔を形作っていた闇が辺りに散った。
「運動能力はまあまあかな。でも、夢器の力が使えないんじゃ、俺は倒せないな」
くすくすと空間中から声が響いてくる。
礼依を見たがまだ、礼依は動かない。
礼依を背後にかばって、棒、恐らくは自分の夢器だろうそれを構えた。
夢器は何の反応も示さない。何らかの反応が示されてもいいはずなのに。
これさえ使えるようになれば。そうすればこの状況をどうにか切り抜けられるかもしれないのに。
でも、今はそんな事に頼っていられない。
やらなければならないのだから。
息を飲む。
まだ、手足は震えていたけれど。
さらにきつく、由依はその棒を握り締めた。
「大丈夫だよ礼依。僕、やってみるから…」
胸の奥を、頭の中身を、すべてえぐり取られるような衝撃だった。
由依が自分の事をかばうように、目の前に立ちはだかっていた。
その向こう側に、深い闇の揺らめきが集まっていく。
夢魔なのだと、直感で気付いた。
その夢魔と、由依が対峙している。
『大丈夫だよ礼依。僕、やってみるから…』
由依が闇に溶け込むような夢魔に向かって駆け出した。
手にしていた棒を振りかざし、振り下ろす。その度に夢魔は闇の粒子と化して辺りに散り、再び同じ姿を形作る。
由依が翻弄されている。
それは明らかだった。
恐らくは手にしている棒が由依の夢器なのだろう。
それが未だ発動されていない。いや、発動できない。
でも由依の表情は必死。あんな由依を、自分は見たことがない。
由依は、「男」だった。
翻弄されてはいるものの、スピードも腕力も何も彼もがただの夢渡りであった頃の由依とは、比べ物にならないほどに上昇していた。
由依の「男」としての強さを、見せつけられたような気がした。
今まではずっと、自分が守らなければ何もできなかったと言うのに。
「なんでそんなにむきになるんだ?無駄だと言ってるのに!」
男があざ笑いながら次々と繰り出される由依の攻撃簡単にかわしていく。
「そんなのは決まってる!今まで僕は礼依に守られてばかりだった!だからこれからは、これからは僕が絶対に礼依を守らなきゃないんだ!」
守る…?
由依が守ると言った。
何を?
自分を?
なぜ?
自分はなぜ守られなければならない?
「女」だから?
弱いから?
冗談じゃない。なぜ自分が守られなければならない。
本来ならば、その場所にいるのは、自分だったはずなのに。
自分は、由依を守りたかった。
それが今はどうだ。自分の方が守られている。
守られたくなんてない。
庇われたくなんてない。
やめてほしい。
そんなのは嫌だ。
オレは弱くない。
守られたくない…!
「あ……」
混乱。
拒絶。
恐怖。
絶望。
そして憎悪。
様々な感情が入り乱れ、駆け巡る。
荒れ狂う感情の嵐がすべて熱に変わるようだった。
右目が熱くて熱くてたまらない。
おさまることを知らないそれは、さらに増して出口を求めて膨脹する。
破裂する。
「いや…だ…やめろ……やめろっ!!」
それはもはや、爆発だった。
辺りはすべて真っ白だった。
一帯にはびこっていた闇も何も彼もが消し飛んでいる。
礼依は激しく打ち鳴らす鼓動の音を身の内に聞きながら、大きく肩で息を付いて立っていた。 右目からいつの間にか熱が引いている。押さえていた手をゆっくりと下ろした。