夢幻双子
ハ・ジ・マ・リ
人の夢というものは、眠り空間という意識の世界の中で展開される。
すべての人の眠り空間はどこかしらでつながっており、そのつなぎ目にはまた別の世界が存在している。
眠り空間の狭間にある世界、夢境。
それは夢の世界に住む者たちが、人々に夢を届けるために日々働く世界だった。
ここは大勢がせわしく動き回る中継所。分厚い書類の束を持った現場監督が方々に指示を飛ばし、その指示に従って積み上げられた卵を急いで仕分けする者がいる。またその卵をそれぞれ枝わかれした道の向こうへ運んでいくために、夢運びたちが彼等の間をまだ幼い体でぱたぱたと駆け回っていた。
そんないつもの光景。
夢の素が詰まった夢卵をきちんと持ち主に届けるため。人々に自分たちが届けた夢を見てもらうため。そのために彼らはいつも忙しく働きまわる。
由依もまた、他の者たちと同じ様に中継所の中をあちらこちらへと走り回っていた。
今年生まれ落ちてから十年目を迎える由依は、人間で言うなれば十五歳前後。もはや十分ベテランの域で、仕事もここの現場監督の補佐という要職である。雑務が多く、この様に一日中せわしなく駆け回らなければならない仕事ではあるが、由依にとってはやりがいのある、十分満足できる仕事だった。これ以上のものを望むつもりなど、彼にはあろう筈もなかった。
ただ…。
ふと、急いでいたはずの足が止まってしまった。
深緑の瞳はどこか物悲しさを映している。
さらりと、うつむいた拍子に金色の髪が落ちかかった。
頬に差し掛かるるその影が、さらに瞳の色を濃くしていた。
もうすぐ年に二回の選抜試験が行われることになっている。この世界の住人である夢渡りならば、だれもがあこがれる夢狩りになるための試験。
夢を悪夢に変えてしまう夢魔を倒し、この世界の秩序を守る者。それが夢狩り。
他の夢渡りから尊敬と羨望を一身に受ける英雄たち。
その選抜試験の事を考えると、由依だけはどうにもこうにも気分が沈んでしまう。
今年、由依は十年目と言う事で選抜試験の受験資格を取得した。それが、彼の憂いの理由だった。
「はぁ……」
溜め息ばかりがついて出る。
由依自身としては、自ら進んで受けるつもりはない。
何度かあった適性検査でも証明されていること。由依には夢狩りになれるだけの能力は備わっていないのだ。受けても受からないことは確実だった。
だが問題はそこではなくて。
「ゆ〜い」
「うわっ!」
ちょうどその時いきなり後ろから抱き付かれて、由依は飛び上がるほどに驚いた。
物思いに耽っていた上にあまりに唐突で、心臓が壊れてしまうのではないかと思うほどに激しく打ち鳴らしている。
相手にもきっとその鼓動は伝わっていただろう。
相手は肩を抱き込むようにしてギュッときつく由依に抱き付いていた。
胸に手を当て、どうにか落ち着くと由依はゆっくりと大きく息を吐きだす。
「礼依…。また仕事サボってきたの…?」
「うん」
問えばこれまた至極嬉しそうな声での返答が帰ってくる。予想通りの答え。振り返らなくても、その表情が容易に想像できた。この状況ではさらにその周りにピンク色のオーラでも取り巻いていそうだ。
「だって、あんな暇なとこにいてもしょうがねーだろ?そんなんならオレは由依と一緒にいたい」
肩越しに礼依が顔を覗き込んでくる。やはりその表情は本当に楽しそうというか、嬉しそうというか。
由依は悪びれもないそんな双子の片割れを、呆れの混じった迷惑そうな表情で睨みつけた。「だってじゃないよ、もう。だいいち、礼依とは違って僕は忙しいんだから」
だからさっさと離れてと、相手の腕の中から抜け出そうとする。礼依はつれない双子の片割れに渋々ながらも手を離し、幼い子供がするように口をとがらせた。
それを無視して由依は仕事に戻ろうと、手にしていた書類の束に視線を戻す。それでもまだ膨れたまま礼依はその場を動こうとはしない。
「ほら、だから礼依も早く仕事に戻る。いくらこの世界が平和で警備する必要がないからって、夢防りの仕事をサボっちゃだめだよ」
めっ、と念を押されてしまって、本当に礼依はしかられた子犬のように首をすくめた。
「わかったよ…。あ、でもその前に…」
と、ごそごそと礼依が服のポケットをあさり、何かカードサイズのものを取り出す。
「じゃーん」
自慢げに由依の目の前に差し出されたのが、一枚の白いプレート状のカード。
何のカードかは見ればすぐにわかった。夢狩りの選抜試験のエントリーカードだった。
突如、胸の奥が何かに圧迫された。
今日から試験の申込が始まることは知っていたが、思ったよりも礼依の行動は素早かったらしい。
「そ…か…。もうエントリーしたんだ」
自然、目線は足元へと流れていた。
見たくはなかった。
胸の圧迫がどんどん強くなって、息苦しくなっていく。
きっと礼依は簡単にこの試験を通過してしまうだろう。自分とは違って礼依は夢狩り候補生ともいえる夢防りの一人。だれよりも将来を期待されている人材だ。通らないはずはない。
「頑張ってね。僕も応援するから」
きちんと笑おうとしたのに、それが崩れて微苦笑になってしまった。
心の中ではいろいろなものが渦巻いていた。
しかし礼依はそれに気付く事なく屈託のない笑顔を見せる。
「もちろん!がんばろうな、由依」
ふと思考が止まった。
呆然と礼依の顔を見つめる。
え、と、一瞬遅い驚きの声。
「がんばろうな…って…。僕はエントリーしないよ…礼依…」
向こうは向こうで、一瞬面食らったように驚いて言葉が出てこない様子。
「なん…で…?オレもう由依もエントリーするって出しちまったぜ!?」
「な…っ、どうして礼依が僕の参加申し込みしちゃうの!?」
言い返されて礼依が返答に言葉を詰まらせた。ばつの悪そうに視線をそらして由依を見ようとはしない。
「だって……だってオレは由依と一緒に夢狩りになりたかったんだ!由依だって言ってたじゃないか!必ず二人で夢狩りになろうって!必ずお互いがパートナーになろうって!だから俺は…っ!」
言葉もなかった。
確かに昔、初めて夢狩りの任命式を見たときに二人でそう誓った。一緒に夢狩りになろうと。でもまさかそんな幼い頃の約束を、礼依が覚えていたなんて思いもしなかった。
礼依の視線が足元に流れていく。
「……確かに、由依に言わないで勝手に申込しちまったことは悪いと思ってる…。でもオレは由依との約束をかなえたい。二人での夢をかなえたい!…だから……だから一緒に出よう…?一緒に夢、かなえよう?」
礼依の切実なまなざしが由依を見据える。礼依の願いは真剣だった。
できるならば由依自身、礼依の願いをかなえてやりたかった。無理だとわかっていても、それでもせめて礼依にそんな苦しげな顔をさせていたくはなかった。
それが未だどこかでくすぶっていた自分の願いに、再び小さな火を点したのかもしれない。 もしかしたなら、と…。
「わかった…。いいよ、礼依。一緒に出よう」
思い浮かぶ限り最高の笑みを、由依は礼依に向けた。
途端、礼依の表情はぱっと明るく反転し、いつもどおりの屈託のない笑みになる。