SEAVAN-シーヴァン編【未完】
黒い質素なドレスと、顔を隠す一切の飾りもない黒いヴェール。風に揺れていたはずの煌く銀の髪は、今は一つにまとめられて、ヴェールと同じ黒のヘアネットの下に隠されている。
最初に城のバルコニーに見た真っ白な聖女の姿とは全く反対の、これから訪れるだろう闇のような姿だった。それが夕暮れの赤い太陽にも染められることなく、静静とこちらへ向かってくる。
「これでよろしいのでしょう?私があなた方のもとに下ることが、降伏の条件だったはず」
シーヴァンの正面に彼女は立ちどまり、ヴェール越しに言った。どこか硬質で、こちらを拒絶する声音も、毅然とした物言いも、やはり都にいる貴婦人を連想させた。
すでに戦闘は終わった。貴婦人には紳士としての対応を。シーヴァンは階段の下に立ったリエレイに、手を差し伸べた。
「こちらへ。城の外に高速艇を用意しています」
差し出されたリエレイの白く細い手を取り、彼女を導く。
しかし歩き始める前に、彼女は背後の城を振り返った。もう2度とその目で見ることはできないかもしれない城の姿を、焼き付けるように。
「行きましょう」
再度促すと、彼女はようやく歩き始めた。足取りは緩く、彼女の心情を現しているようだった。
そんなリエレイを、シーヴァンはゆっくりと時間をかけて城の中から連れ出した。
これから向かう先は、王都フェルディエン。この帝国西南のはずれからは、高速の飛空艇でも丸1日かかる場所だった。
城の外に出ると、夕暮れの赤い光に照らされた鈍色の鉄の塊がリエレイの姿を待ちわびていた。小型とはいっても飛空挺であるからにはそれなりに大きな機体である。その前に、指揮官を初めとする多くの将校が並んでいた。
前後を兵士達に固められたリエレイは、張り詰めた面持ちの将校達の間をおとなしく歩き過ぎ、昇降口に備えられた階段を上った。静まり返った空間にリエレイの足音だけが響く。そしてやがて彼女の後ろ姿がしっかり階段を上りきり、艇の中へと消えてしまったのを見計らって、シーヴァンは居並ぶ面々に向き直った。
「では、あとのことをよろしく頼む」
一同に敬礼をし、立ち去ろうとした。その間際だった。
「ノアー殿…!」
先頭に立つ指揮官が、シーヴァンを呼び止めた。彼の体が僅かに震えていた。
視線はシーヴァンに何かを訴えるように、真っ直ぐ向けられる。僅かな狼狽が、その瞳の中に表れていた。
彼が震える手で撫でつけた頭を抱え、軽く首を振る。
「総司令官直属精鋭第2隊隊長殿」
正式な役職名でシーヴァンは指揮官を呼んだ。呼ばれた指揮官は、弾かれたように顔を上げる。
「閣下の信頼を裏切るような真似は、慎んでほしい」
あくまでシーヴァンの声は冷静だった。その声で諭された指揮官は、相手が年下で階級も下だということすら忘れたようだった。
ようやく、指揮官の腕は下ろされた。その目の中から、狼狽の色は既に消えていた。
「分かりました。大総統閣下によろしくお伝えください」
一同が敬礼する。シーヴァンが機体の中に入ると階段が外され、昇降口の扉が重たい音を伴って閉ざされた。
艇のエンジンがかけられ、周期的な重低音が機体を揺らし始める。
これで、この地には何の用もなくなった。あとは残る彼らに任せればいい。
「リエレイ嬢は?」
シーヴァンは、傍らに控えていた兵士に尋ねた。
「例の部屋に」
返ってきた機械的な答えに短く応じて、告げられた部屋へと足を向ける。
そのうちに、窓の外の景色がゆっくりと下降し始めた。機体が僅かな揺れと共に上昇し、離陸する。
今までシーヴァン達よりも高い位置に見えていた城の姿が次第に低くなり、遠ざかっていく。
シーヴァンが例の部屋にたどり着いたときには、城の位置ははるか下になっていた。
「シーヴァン=ノアーだ」
名を告げると目前の鉄製の扉は音もなく横にスライドした。
中に見張りとしてとどまっていた兵士に退室するように手振りで示して、入れ替わりにシーヴァンが入る。シーヴァンが入ったすぐ後に、扉は再び音もなく動き、かちりと微かな音がしてロックされた。
小さな円形の窓の際に椅子を置き、じっとはるか下の城を見つめていたリエレイが、その音を合図にするようにこちらを振り返った。
相変わらず黒いヴェールを被ったままの、喪服姿。その布越しの視線がこちらを睨みつけている。
「ヴェールを取っていただけますか?」
告げると、リエレイはおとなしくそれに従った。
彼女の細い指がヴェールの端をつまみ、顔の前から覆いを取り去る。
「これでよろしいかしら」
紫水晶のような眼が、真っ直ぐに向けられた。同時に、彼女の口の端が僅かに吊り上げられる。今までの彼女の姿からは想像できない、悪ふざけをするような笑み。けれど太い芯を持っているようにも感じられる瞳。そのどれもが、聖女のような姿からは、かけ離れたものだった。
ただしそれは、遠目に見たリエレイの眼差しなどよりずっと、シーヴァンにとってはよく知る眼差しだった。
「お久しぶりです。アライム=マーナー殿」
その名を再び口に昇らせたとき、今までリエレイの姿をしていた者は自分の結い上げた銀の髪に手を伸ばした。銀の糸が空間に舞った。
毟り取られたその髪の下から現れたのは、2年前あの刑場で見た、忘れ得ぬ金だった。
今まで銀色のウイッグに隠されていた鮮やかな金の髪。2年前と変わらない、男なのか女なのかわからない幼い容貌。ただ夢の中の彼とは違ってその紫色の目は生気に満ち溢れ、シーヴァンをしっかりと見据えていた。
ヒールがシーヴァンに向かって一度、硬質な音を立てた。立ち上がったアライムが、シーヴァンに近づく。
目線の位置はシーヴァンよりもやや低い。歳も、見た目はシーヴァンよりも幼く見える。ただ敵の手の内だと言うのに落ち着き払ったその態度が、彼に見た目どおりの年齢を感じさせない。
「久しぶりだ、シーヴァ」
シーヴァンの前に立ったアライムは、うっすらと目尻を緩め、シーヴァンを上から下までくまなく眺め回した。
「本当に懐かしいな。ずいぶん会ってなかったような気がするけど。たしか…」
いつから会っていなかっただろうかと、アライムは記憶をたどろうとする。
「2年前、あなたが逃亡した時に一度お会いしています」
すかさず応えたシーヴァンに、アラムが、え、と声を上げた。
「覚えてはおられないかもしれませんが、2年前、貴方が逃亡した時に見張っていたのは私ですので」
「そう、だったか…?」
重ねてシーヴァンは頷くが、アライムは首を傾げた。どうやらそのときのことを覚えていないらしい。しきりに思い出そうとしているが、眉間にはしわが寄ったまま戻らない。腕を組み、片手で顎の辺りを押さえるのが彼の深く考え込む時の癖だが、今も徐々にその姿勢になりつつあった。
やがて彼はどうしても思い出せないと、両手を上げて降参する。
「ほんと、悪い。なんで忘れたのか…」
「別に構いません。私はただ任務をこなすだけですから」
そう言うと、彼は相変わらずだなと笑った。
彼は再びシーヴァンから離れ、小さな丸窓の向こうを眺める。
「シーヴァ、あの6人…お前が送ったのか?俺を連れ戻すために?」
作品名:SEAVAN-シーヴァン編【未完】 作家名:日々夜