SEAVAN-シーヴァン編【未完】
むしろこんな場所では異質としか言えない品の良さを感じさせた。張り詰めた悲痛な叫び声でなければ、貴族のサロンかどこかででも交わされていそうな。
「戦闘を、やめてください」
もう一度、今度はある程度落ち着いた調子で繰り返された言葉に、まずリムーアの兵士が斜め上方を見上げた。それにつられて帝国軍の兵士達も見上げる。
広場に向かって張り出したバルコニーの、こちらからだとちょうど左上の位置見える場所に、白い小さな女の姿が現れていた。
白いショールと共に、長い銀色の髪が風に舞っていた。上から下まで、一切の汚れもない真っ白な姿。ちょうど太陽の光を受けて輝く銀色の髪のせいもあって、まるでそれは人間が思い描く聖女そのもののようでもあった。
「私は、リエレイ=リムーア。この“リムーア”の代表を、務めるものです」
一時の聖女が告げたその言葉が、辺りにいた帝国兵たちをざわつかせる。おそらく、だれもこの反逆組織リムーアの代表がこんな少女であるなどと思いもしなかったに違いない。
「リエレイお嬢様!お戻りください!危のうございます」
誰かが声を嗄らして訴えた。が、自らリムーアの代表だと名乗ったその少女はただ首を振るだけだった。
「どなたか、そちらの指揮官殿にお伝えください!リムーアは降伏いたします。ですからもう、どちらも剣を納めてください…。これ以上、皆が傷つくのを見ていることなど私には…」
最後はほとんど消えかかって、ここからでは聞こえなかった。バルコニーの手すりにつかまって、うつむいている姿だけが辛うじて見えた。
やがて一つ、また一つと石畳に刃が跳ね返る音が周囲に広がった。
今まで背水の陣をしきながら奮闘を続けていたリムーアの兵士達が、指導者の言葉に地面にうなだれる。もはや動く気力さえなく、絶望に打ちひしがれて嗚咽をこぼす。シンと静まった周囲は、あっという間にむせび泣く声で埋まった。
それらの状況を見渡して、シーヴァンはおもむろに歩き出した。帝国兵は勝利を喜ぶわけでもなく、ただ泣き崩れるリムーア兵たちを冷え切った眼差しで見下ろしていた。その合間をシーヴァンは音も立てずに通り過ぎ、降伏を宣言したリエレイ嬢のいる広場へ進む。
ちょうど広場に入ったときだった、誰かが屋内からリエレイに近づいた。女だった。見たこともない鮮やかな青い髪が目立った。それが半ば強引にリエレイの華奢すぎる肩を抱き、中へとつれていこうとする。
「リエレイ=リムーア!」
張り上げたシーヴァンの声に、2人の女が振り返った。高い位置から首を巡らせるリエレイが、すぐにこちらを見つける。もう一人の女から離れて、再び手すりへと駆け寄ってきた。
「私は大総統閣下直属精鋭第2隊所属、大総統第2補佐官シーヴァン=ノアー中尉だ。降伏すると言うからには、昨日申し上げた条件を飲んでいただけると言うことだろうか?」
即座の返答は無かった。
リエレイは一瞬躊躇して背後を振り返る。それから大きく首を横に振る。青い髪の女と口論になっているらしいが、その内容までは聞き取れない。
そのとき、バルコニーの手すりの隙間に、もう一人誰かの姿がちらついた。バルコニーの床板に遮られて下からでは見えないが、誰かがリエレイと青い髪の女の間に割って入る。
そして。
「条件を飲みます」
確かな声が辺りに広がった。リエレイの静かな声音だ。
「ならば1時間の猶予を与える。1時間後、こちらから迎えを出そう。それまでに支度を整えておいて頂きたい」
見上げるこちらの視線が、見下ろすリエレイの視線と一瞬重なって、シーヴァンはつま先を反転させた。
今度こそ司令部へと向かうつもりだった。
「おい、シーヴァ…」
こんな状況でなければ多くの市民が闊歩していたのであろう、広場から東門へと通じる内郭沿いの大通り。その崩れかけた建物の前を通り過ぎようとしたとき、隣の建物との間から、かすれた弱々しい声がシーヴァンを呼び止めた。
暗がりに溶け込む濃紺の制服と、褐色肌。その中でも目立つ金髪は半ばほこりにまみれ、もう半ばは血の赤にまみれていた。
「よくも、まあ…あんな役、まわしてくれたな…こん畜生」
そう悪態を突く声も、呼吸が乱れて途切れ途切れ。
「生きていたのか、イリア」
「生きていたのか?ってことはやっぱ最初っから俺たちは捨て駒かよ」
サイアクだと、呟くと同時に彼はずるずると背を預けていた壁を伝って地面へと座り込む。
「他の奴らは皆殺された。お前の言ったとおり、俺たちじゃ3人足りねぇよ。あの人にも逃げられちまうし、任務も失敗」
自分だけが生き残っておめおめと帰ってくる羽目になったと、イリアは己に対して嘲笑を浮かべる。
それを、シーヴァンは否と否定した。
「お前達は十分役割を果たした。任務は成功だ」
だったらよかったと、吐息のようなかすかなイリアの声と共に、その体がぐらりと傾いだ。白い敷石に倒れこみ、四肢が投げ出される。昼を過ぎた高い太陽の光にさらされた制服には、べっとりと赤い血糊が染み込んでいた。
「急いで救護班を!」
一度は静まった騒々しさが、その場所にだけにわかに再来することとなった。
1時間と言う時間はそのとき、とても短かったようにシーヴァンには感じられた。
イリアを救護班に引渡したあと、シーヴァンはその足で再び司令部へと向かった。
司令部に戻ったのは、与えられていた大総統代理としての権限を行使するため。全軍の指揮を一時シーヴァンの下に置き、交戦停止を宣言する。それからやるべきことを捌き、方々に然るべき命令を下す。戦場のような熱狂はないが、そのときの司令部内は戦場よりも慌しく忙しなかった。全てを終わらせる頃には、すでに刻限は迫っていた。
急ぎ、シーヴァンは広場へ折り返した。
再び足を踏み入れた城壁の内は、既に熱狂の渦は去り、静まり返っていた。
白かった敷石に染み込んだ血の色と、かつては石畳の白さに彩りを添えていたのだろう踏み荒らされた花壇。それらが並ぶ中を過ぎ、広場へ入ると、中央に先ほどは気にも留めなかった噴水が、以前描いていたような水の乱舞を見せることはなく、狂ったように水を吹き上げていた。あふれる水が西に沈みゆく太陽の赤に染められて、ここで死んだ全ての者達の血が吹き出しているようだった。
「お待ちしておりました」
誰かが血色の噴水を背後に、シーヴァンへ敬礼を向けた。
崩れかけた街並みの中に、整然と帝国兵たちが並んでいた。彼らはシーヴァンとは逆にいつも以上に長い1時間を過ごし、待ちわびた様子で視線を向けてくる。もしリエレイが約束した刻限を僅かでも過ぎれば、すぐさま彼らはこの広場から本城の中へと踏み込むことだろう。
「刻限です」
誰かが報せる。
「迎えを」
事務的な報せに短く返し、本城の内門へと首をめぐらせた。
「迎えは必要ありません」
女の、鈴の音のような声が門の奥から発せられた。
太い鉄格子に遮られた先。ゆっくりとした足取りで城の階段を下りてくる小柄な姿が、そこにあった。
作品名:SEAVAN-シーヴァン編【未完】 作家名:日々夜