SEAVAN-シーヴァン編【未完】
章1 1
大陸西部は、西からの偏西風とそれに運ばれてくる暖流とによって、温暖で安定した気候を保っている。そのため大新洋に面する沿岸地帯には、南北に長く緑の沃野が広がり、このフェルディアス帝国の膨大な人口を支える穀倉地帯を形成していた。
南の外れに位置するその土地も、西側の豊饒な大地の恩恵に授かっていることは例外ではない。海岸沿いは延々と耕作地で埋め尽くされ、その中にささやかな城壁に囲まれた街がぽつんとたたずんでいた。温暖なために春と秋の両方にある収穫期には、街を埋め尽くしてしまうほどの穀物が城壁の中に運び込まれる。そして質の良いそれらを求める多くの交易商人たちが、ひっきりなしに街道と街とを行き来していた。
だが今は春の収穫期であるというのに、城壁の外に忙しく働く農夫たちの姿はなく、また商品を仕入れに来る交易商人たちの姿も見られない。代わりに、かつて畑だったはずの農地は火に焼かれ、鉄の車で踏み荒らされ、いまや多くの兵士と兵器とに埋め尽くされていた。
小鳥のさえずりや、のんびりとした農耕馬の嘶きに代わって辺りを支配するのは、エンジンを全開にして走り回る装甲車や、空中を高速で駆け回るエアバイクの駆動音。そして市場の喧騒に代わって辺りに響き渡るのは、狂気の入り混じった人々の歓声と怒号。断続的な砲火の爆音と、幾重にも重なる剣戟。
常にないさまざまな音が入り混じり、絶え間なく繰り返される。
いつもだったらのんびりと午睡を楽しんでいただろう人々は、いまやいつちっぽけな防壁が砕けるかと、身を縮め、震えるばかり。
しかし小さな角砂糖に幾千もの蟻が群がるかのような、圧倒的な差があるにもかかわらず、街の守りはよく耐えていた。
時折耳鳴りのような高い音が響き渡り、街の周囲に七色の光が揺らめく。それは街ごとすっぽりと覆う透明な魔力障壁に、破壊魔術がぶつけられる光景だ。本来なら、これだけの力の差があればものの数分でことは片付いただろう。未だにそうなっていないのは、ひとえにこの障壁が全ての攻撃を無効化しているおかげである。
しかしそれも結局は滅亡までのカウントダウンを、ほんのしばらく先に伸ばすだけの効果しかない。むしろ、この障壁のせいでもっと悪い状況に追い込まれていると言えなくもなかった。
それは城壁からやや東側にずれたところにあった。
「エディー隊正面部隊を援護せよ! ハイドン隊、リルズ隊はそれぞれ南北へ! その他の部隊は引き続き待機!」
迅速かつ的確な命令が、仮設されたほの暗い司令部に飛び交う。その命令に従い、さらに他の者へと告げるため、もしくは新たな戦況の報告をするため、慌しく人が行き来する。
天幕の外では司令官の命令に従って、頑なに抵抗し続ける街へ、更に攻撃の手が増やされる。
しかし、自分の意のままに兵士たちを動かす男の表情は、あまり晴れやかとは言えなかった。そう整っているわけでもないいかつい顔を、眉間を寄せ、口をへの字に曲げることでさらに険しくしている。彼の中に溜まった苛立ちが、何度も小刻みに音を立てる指先に見て取れる。
本来なら既に男の仕事は終わり、あとは面倒な事後処理を部下たちに任せておけばいいはずだった。これは国内の反逆の火種をもみ消すだけのつまらない戦。各地を騒がせてきた反逆組織は追い詰められてこの地に逃げ込んだ。しかし、圧倒的戦力の前には抵抗する意味もなく、あっけない終幕を迎える。
結果は初めからわかりきっていた。集められた兵は巨大なフェルディアス帝国の中でも特に優秀な精鋭ばかり。投入された火力は、反乱組織が所有する威力の数十倍は軽く超える。その完全な部隊が、烏合の衆でしかない反逆組織に敗北を喫するどころか、てこずることすら有り得ないはずなのだ。
しかし現実は司令官の予測とは大きくはないものの、異なっていたのである。
司令官の指先が刻む音は、次第に感覚が縮まり荒々しくなっていった。そしてついには机を叩きつける拳に変わった。
「まだ、門の一つも落ちんのか!」
男の激昂が司令部内外に響き渡った。その場にいた者は皆一瞬身を竦ませ、一様に猛り狂う司令官から視線を外す。皆この司令官にはそれなりの期間従ってきていて、その人となりは分かっていた。悪い人ではないのだが、ただ少し激しやすい。こういう人間には触らぬ神に祟りなしということで、皆なるべく関わらないように、嵐が過ぎ去るのを待って隅で縮こまるのだった。
それでも、天幕内に残っていた中で一番物静かそうな眼鏡の女性が、無駄と知りつつも荒れ狂う上司をなだめすかそうとした。
「落ち着いてください、大佐……」
だが、やはり女性の気配りは無駄だった。
「これが落ち着いておれるか!」
更なる雷が周囲を怒号で包んだ。
「こんな簡単な戦でまだ門の一つも落とせぬとは! しかも、なんで私があんな小僧にいちいち指図されねばいかんのだ! 大総統閣下のお気に入りだかなんだか知らぬが、いくら無性体(ノア)の能力が他の人間よりも高いと言ってもあんなまだ未分化の17のガキだぞ!? 閣下の代理が勤まるわけなかろうが!」
「そうは申されましても、シーヴァン=ノアー中尉は正式に大総統補佐官として…」
「わかっておるわ、そのくらい!! だから癪に障るというのだ!」
「それはつまり、嫉妬っつーことっすか? 隊長」
まるで幼年学校の生徒が教師に質問をするときのように、その手は上がった。
天幕の中にいた者達の目が、その声の主に集中した。そのうちの幾人かは、この後起きるだろうことを想像して、耳を塞ぎ、天を仰いだ。
「イリア!! また貴様か――!!」
司令官の顔がゆでだこみたいに真っ赤になり、その頭上から湯気が噴出しそうだった。
だが、地も揺らすほどの怒声を前にしながらも、イリアだけは相変わらず人をおちょくるような笑みを浮かべたまま。
「まあ、そう怒るなよ隊長。いくら見た目が年取らないシーヴァンの民(シーヴァニス)だからって、実際はもういい年なんだからさ。そんなにカッカしてると頭の血管ぶちきれるぜ?」
「うるさい!! 私のことなどお前に関係ないわ! それよりも貴様命令を無視してこんなところで何をしておるか! さっさと自分の部隊に戻って…」
しかし、その指揮官はその続きの言葉を口にすることができないまま、硬直した。視線をめぐらせた先。今しがたイリアが入ってきた入り口の辺りを凝視したまま動かなくなる。
司令部の天幕の中も水を打ったように静まり返った。
イリアだけが、沈黙する司令部内で唯一いつものようにへらへらと陽気な笑顔を浮かべていた。
「ああ、わりーな隊長。実はこいつに用事言いつけられちまってさ」
と、親しい友人に別の友人でも紹介でもするような軽いノリで、親指をたてて示した先には。
「シ、シーヴァン=ノアー殿!?」
その場に表情もなくたたずむ、黒髪の少年のような小柄な姿に、今まで不平不満を大声で吐き出していた指揮官は、真っ青になって最敬礼した。体を緊張と恐怖に凍りつかせ、額にじっとりと脂汗をにじませる。
作品名:SEAVAN-シーヴァン編【未完】 作家名:日々夜