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てっしゅう
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哀恋草 第五章 都落ち

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古くからの商いで付き合いのあった熊野水軍の頭領も今は源氏側に就いた。義経が戦もその後の事も、すでに話は伝え聞いていた。維盛たち家来家族にとって、もう安心できる場所ではなかった。ひたすらその生い立ちはここ吉野でも隠さねばならない一蔵であった。

夜が明けてきた。鶯の鳴き声に目を覚ました義経は、辺りのひと気を探った。耳を澄ますとなにやら女の声が聞こえる。義経は身を小屋の裏側に隠し様子を窺った。

「光、早よう来ぬか!こっちじゃ・・・ここならええじゃろ。早う吹いて聞かせてくれい!」みよは、光の笛が聞きたかったのだ。炭焼き小屋まで来れば作蔵にも怒られずにすむからだ。光は懐から、一蔵に貰った笛を出し、唇に運んだ。澄み切った美しい音色が、まだ日が昇らぬ朝もやの中に響き渡った。みよはうっとりとその音色に聞き惚れていた。

そしてもう一人聞き惚れていた者がいた。義経である。子どもの頃修行していた鞍馬の山で教えられた笛のまた名手でもあった。最近手にしていなかった笛を握り締めて、目の前で美しく響かせている少女に目が釘付けになっていた。光の笛は我流であろう、そう義経は聞いた。しかし、真っ直ぐな心の持ち主であろうその音色に感動せずにはいられなかった。己の人生が走馬灯のように駆け巡り、辛く悲しいその時々の自分を慰めてくれているように染みていた。

「光、相変わらず素晴らしいのう、そちの笛の音は。天下一品じゃ!みよは誇りに感じるぞえ」
「姉上・・・ありがたき幸せ。ますます精進いたしまするゆえ、またお聞きくだされ」

姉妹なのか・・・この地にかような美しい女子が住んで居ようとは考えても見なかった義経であったが、今は名乗り出られない身の上を、二人がこの場を去り行くまでじっと忍ばねばならないことが悔やまれた。

光とみよは、朝の支度のために短い時間を楽しんだ後、帰って行った。義経は笛が吹きたくなる感情を抑えていた。それにしても、美しい娘だ。笛の音もまた聞きたいが、それ以上に光に逢いたい気持ちがこみ上げてきた。妻はどちらかと言えば押し付けられたような形で娶った。あまり愛情は感じていなかった。この時代武士が愛妾を持つ事など当たり前だったから、義経が光に惚れたとしても、そのことを咎めたりする家臣や親族はいなかった。そして妻さえも納得せざるをえない男子の行為だったのだ。

吉野に深夜到着した影光は夜明けを待って、一蔵を訪ねた。快く出迎えてくれた一蔵は、ひとかたの挨拶を済ませると二人だけになりたい旨を伝え、主人の部屋へと入っていった。膝を突き合わせるように進み出て、仔細を小声で話した。聞き終えて一蔵は深くため息をつき、天井を見上げてしばらく思案した後申し伝えた。

「影光どの、そちの頼みを断る事はできんがのう・・・しかし、背後の熊野や宇治からの間者がうろつき始めるじゃろうて、ここも安全ではないでのう・・・わしに考えがある。近くに炭を焼いておる弟が住まいがあるのじゃ。娘と臥せっておる妻と三人暮らしじゃ。義経殿は娘の夫として隠れ蓑に、そこもとはわしの下で、家臣となっておれば分かるまい。いかがであろうかな・・・」
「義経殿はその炭焼き小屋に隠れてございます!これは奇遇な・・・早速戻りましてその旨伝えとうございます。かたじけない・・・」

一蔵は手紙をしたため、弟作蔵に見せるようにと、影光に手渡した。足早に小屋に戻る影光の後姿をじっと見ていたものがいた。一蔵と、その後で気付かれないようにしていた、久であった。


久は影光を見知っていた。京から勝秀に連れられて和束村(宇治市)に匿われ、茶畑に働きに出たそこの頭領が家に朝廷への献茶を買い付けに来ていた人物だった。その特徴的な顔立ちが久には忘れる事ができなかったのだ。影光は小柄ながら、何か修行をしていたのか、身体に生傷が多くあったように見ていた。特に頬に深くつけられている傷跡は、ひと目見ただけで印象付けてしまう。

今この時に、何故ここに来たのか、久は疑っていた。こっそりとあとをつけて影光の行き先を確かめたかった。吉野川を渡り、笠置への街道に出たとき、影光は歩く事をやめ、しばしじっとしていた。ゆっくりと後方を振り返り、陰に隠れている久に向かって言い放った。

「誰かは知り申さぬが、我に用がござるのかな?」
続けて
「女子と見ゆる。安心せい、危害は加えぬゆえ・・・」
久はゆっくりと進み出た。

「申し訳ござりませぬ・・・私目を覚えてはござりませぬか?」
影光はじっと目を凝らした。
「・・・どこかで逢うたような・・・思い出せぬが、知り合いと申すか?」
「和束村の久にござりまする。勝秀殿が身内にござります」
「なんと、そうであったか!もう幾年過ぎようかのう・・・勝秀殿は元気でおられるかのう?」

久は黙ってしまった。こちらが聞きたかったからだ。女の直感でこれ以上勝秀の事は話してはならぬようなまた、聞いてはならぬような思いになった。
「離れ離れになって久しゅう・・・ござりまする」
「・・・そうであったか・・・寂しゅうござるなあ・・・」言葉を選んだ影光であった。

「久とやら、先を急ぐので話はまたの機会に、そうじゃ一蔵殿の許に居られるのじゃったな。影光はまたお邪魔するであろうから、その折にでもゆるりと話をし申そう・・・では、ご無礼する」

早足で影光は過ぎ去った。久の目にもその素早さは尋常の男衆には見えなかった。何かある・・・久は不安を抱いていた。帰り道、作蔵が許に遊びに行っている光のことが急に懸念された。思い切って一蔵に話そうと覚悟を決めたが、不安は大きくなって行くばかりだった。

夕餉の後、一蔵を呼びとめ、久は話をした。
「一蔵様、お話したい事がございます。先ほど帰られましたお客人様は、もしやして影光殿ではござりませんか?」
驚いた表情で一蔵は久を見た。

「そなた顔見知りか?」
「はい、茶の買い付けに良くこられていましたゆえ・・・二三度お話した事がございました。光の事が心配になりますゆえお話くださいますようお願いできませぬか・・・」
「そなたには辛い事になるが、覚悟がござろうなあ?」
「はい、どのような事でも受け入れましてござりまする」
「さようか、ここに座りなされ」

一蔵は、自分の知っていることを順序だてて話し始めた。

「久どの・・・勝秀どのは維盛様の家臣であられたよのう?」
「はい、さよう聞きましてございます」
「うむ、その平氏を打ち破った鎌倉の将の名はご存知か?」
「はい、皆が話しておりましたゆえ、聞き及んでございます。九郎判官殿(義経)と・・・」
「そうじゃ。してその九郎様はどうしておられるかも聞き及んでいようか?」
「いいえ、存じませぬ。鎌倉に居られるのではござりませぬか?」
「九郎様は訳あって鎌倉殿に謀反を起こされ、今は追われる身じゃ。先ほどの影光どのは、摂津の商人時代からの付き合いじゃった。武家に憧れて、修行を積み剣と軽業師のような身軽さでとある武人の家臣として傍に仕えながら、身は商人のままでいたのじゃ」

久は義経が追われていると聞き世情の移り変わりの速さに驚きを隠せなかった。

「一蔵殿、九郎さまの家臣だと申されるのか?影光殿は・・・」