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てっしゅう
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哀恋草 第五章 都落ち

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第五章 都落ち

年が明けて元暦2年(1185)義経は熊野水軍を味方につけ、摂津の湊から暴風雨の中を少数の舟で讃岐に渡り、屋島の後方から奇襲を掛け、平氏の軍勢を敗走させた。やがて追い詰められた平氏は、幼い安徳天皇を母徳子がその手を引いて入水し、壇ノ浦で壊滅した。敗軍の将平宗盛・清宗親子は義経に捕らえられ、京へ戻った。捕虜となった平氏一門の中に勝秀の姿はなかった。勝秀は屋島から京へと数人で様子見にたびたび出かけており、この戦の最中も京にいた。急ぎ引き返したが、水軍の早い動きに間に合わず、壇ノ浦へは一歩遅かった。

4月に京へ凱旋した義経は英雄だった。朝廷や貴族、町民まで大歓声で迎え入れられた。しかし、これが頼朝には不満だった。幾つかの難題を突きつけられ焦燥していた義経は、叔父行家の追討を申し与えられ、これを断った。決定的に謀反と見られて、頼朝は後白河から義経追討の院宣をもぎ取ると、全国の源氏とその味方する氏族に義経追討の触れを出した。追い詰められた義経は九州に逃れるため摂津国で舟を出すが、折からの暴風で引き返し、追っ手の軍勢に、敗走せざるを得なくなった。秋も深まる11月にわずかな手勢と妻を引き連れその隠れ場所を探してさまよい始めていた。

「影光、これまでかのう・・・おぬしたちはそれぞれに逃げ延びよ。まとまって居ては目につく。これまでのこと嬉しゅう思うぞ。兄上様にはお解かりされなんだが、来世では必ずやお許しがあろう。そちたちは命を粗末にせぬよう・・・申し置くぞ」

ここまでずっと傍に仕えてきた商人上がりの家臣、堀影光は主人の言葉を涙を流して聴いていた。

「殿・・・影光はお命をお仕えしたときより預けましてござるゆえ、いまさら逃げ落ちるなど、笑止千万。この身に代えましても、殿を必ずや安全な所までご案内させて頂きまする」
「影光・・・そちは忠臣であるのう。この義経には身に余る果報じゃ。しかし、他の者達は何とか逃げ延びて欲しい・・・よき案はないものか?」

影光は義経の近親者を集め自分と義経は身を隠すが、他の者達は反頼朝派の寺院を頼りいったん避難するように勧めた。妻と義弟もこれに準じた。身軽になった義経主従は影光の商人時代に顔見知りになっていた一蔵の元を訪ねるべく、吉野山への道のりを急いでいた。冬支度が辺りを薄っすらと覆い始めるまでに残された時は少ない。厳しい冬山に変わるまでに住まいを見つけないと凍え死ぬ。きしくも、久と光が歩いた木津川沿いの街道を二人は笠置山に向かっていた。そして、作蔵の居る炭焼き小屋に二人は近づいていた。

吉野の冬は寒い。時に雪深くもなる。一蔵は冬支度のために作蔵の所へ炭を仕入に毎年家人を行かせていた。今年13になった光を伴って一蔵の家人は、大八車を牽いてやってきた。
「作蔵様!一蔵様の使いでござる!」
大きな声で玄関口で叫んだ。光は先に進み出て、勝手に中へと入っていった。
「みよねえさ〜ん!光です!入りますよ・・・」

にこやかな顔で裏庭から回って来たみよが顔を見せた。
二人は走りよって抱き合った。時が経つほどに仲が良くなっている、本当に姉妹以上の繋がりを感じ合っていた。

「さあお上がりなされ、今宵は泊まって行くのじゃろ?」
「はい、光はそうします。共の者は急ぎまするゆえ、暗くなるまでには戻ろうかと思います。久しぶりにたくさんお話がしとうございます」

光は、甘えるようにみよに話した。今ではすっかり大人に見える光は吉野でも評判の美人で通っていた。昔は嫉妬したみよではあったが、今では自慢の妹だと誇りにすら感じている。それに、話していても勘の良い光の事を気に入っていた。みよは生来人の心が読める不思議な力を持ち合わせていたから、真っ直ぐな光の事が余計に可愛く感じられるようだ。

「では小屋まで炭を取りに行きますから、手伝ってくれる?」
「はい、もちろんですとも!」
二人は、作蔵がすでに用意をしているであろう炭の束を、大八車に積み込む手伝いをしようと、炭焼き小屋へと歩き出した。家人が後を着いて車を牽いてくる。小屋では作蔵がほとんど用意した炭を縄で結、後は積み込むだけにして待っていた。

「ご苦労様じゃのう、二人とも手伝って、早う積み込もうぞ・・・」

日はすでに高くなってきている。早く戻らねば吉野に着くころには闇夜となってしまう。素早く積み込み、家人達は感謝をして急ぎ街道を下り戻っていった。作蔵は戸締りをして、家に戻り、三人で昼餉を採っていた。誰も居なくなった炭焼き小屋に人影が現れたのは夜も更けてきた戌の刻近くであった。


義経主従は街道脇の炭焼き小屋を見つけると、まず影光だけが近寄りひと気を探った。戻ってきて誰もいないことを告げ、しばし休みどころとする提案をした。

「殿、ひと気はござりませぬ。夜が更けましたゆえ、小屋の軒下を借り今宵の寝所と致しましょう」
「うむ、それがよかろう。しかし、具合良く小屋が見つかったのう。これも何かの思し召しかも知れぬな・・・感謝じゃ、のう影光」
「はい、しかと心得ましてございます」

光はみよと一緒に湯殿に入っていた。二人は必ず一緒に湯を使うようになっていた。みよは、からかうように光の膨らみかけている胸を触り、「待ち遠しいのう、殿方の手が触れることが・・・ほれ、このようになされるのじゃぞ!」そういって、しっかりと手のひらで掴んだ。
「また同じような事を!嫌でございまする・・・姉さまも、殿方も・・・」

言い方が可笑しかったのか、みよは大笑いした。つられて光も笑ってしまった。作蔵は風呂場からの笑い声に頬が緩んでいた。みよがいつも寂しい思いをしている事が気にかかっていたからだ。こうして時折光が通ってきてくれる事を、心から感謝していた。みよには事情が許せば光、久と一緒に三人で仲良く暮らして欲しいと願うのだが、作蔵には心の中にこの頃妙に胸騒ぎがしてならない予感があった。おぼろげではあったが、自分のこの種の予感は外れた事がないと強く懸念していたのである。

影光は炭焼き小屋の軒下で眠りに就こうとしている義経に向かって、進言した。

「殿、これより影光、夜道を走りまして吉野まで参る所存でござりまする。一蔵殿が住まいを訪ね、我らの事情をお察し下さるようお願いしてまいります。夜が明けましたら、ひと気にご注意なされ、戻りますまでお忍び願いまする」
「うむ、大儀じゃのう・・・そちに任せるゆえ、良い返事を待っておるぞ」
「はい、かしこまってござりまする・・・」

影光は商人ではあったが、義経の警護をするほどに身が軽く、諸国の事情などにも精通していた。吉野の一蔵とは摂津の商いで顔なじみになっていた。名は教えなかったが、自分が武家の警護をする身となった事は一蔵にも相談していた。一蔵は今は商人として地位を築き上げていたが、元は摂津国の名士の家系に生まれ、武士として育てられていた。平氏の台頭で、親類が敵味方に分かれることになり、辛い判断を強いられ吉野の地へ移住した。やがて争いごとを避けるために武士を捨て今の商人としての暮らしを選択した。過去が過去だけに、知る者は尋ねてくるこのご時勢だった。