ヤモリの子守唄
少なくとも母と離れた事で冷静になる事も出来たし、施設にいた他の子どもと接する事で物事を深く考えられるようにもなった。だから、一年を経た私は母ともう一度一緒に暮らそうと思えるようになったのかもしれない。
私は静かに目を閉じた。カーテンの隙間から空が悲しい程青いのが手に取るようにわかる。私と暮らせる事が決定した数日後、興奮した母がそれを押さえる為に多めの安定剤を服用して洗濯物を干そうとベランダに出た時、5階から誤って転落してしまった。母が病院に運ばれたと知らせのあったあの日も色とりどりの落ち葉のような木々に囲まれた施設の上には雑に描かれた羊雲がのんびりと散歩をする平和そのものの秋の青空が果てしなく広がっていたっけ。母は運悪く首から落ちてしまい即死だったと迎えに来た祖母は涙ながらに言っていた。母の為にこんなに涙を流して悲しむ事が出来るんじゃないかと祖母に対して奇妙な気持ちになったのを忘れない。あの時にも私は悲しいかな涙すら出て来なかったな。
私はただ祖母を振り切って外に飛び出して行き、いつも追い出される母を見送っていた門の傍に生えているガジュマロの木に登り、何度目かの誕生日で母からもらった銀色のハーモニカをがむしゃらに吹き鳴らす事しか出来なかった。
雨を恐れるようになってしまった私にはもはやそれしか出来なかったのだ。
不意に乾いた笑いが部屋に木霊した。その懐かしい声に私は驚いて目を見開き部屋を見渡した。ママ・・・
しかし、私が探していた人形はいる筈もなく、ただ壁にぺっとりと張り付いたヤモリが再び鳴いた。そして、間隔をあけて何度か鳴いた。
なんだ・・・はは。ヤモリじゃん・・・ヤモリが鳴いただけ。
私は落胆したと同時にその声を聞きながら安心して眠りに落ちようとしている自分に気付いた。そして頑固に出なかった涙が温かい滝のようになって目頭から耳の上を伝っているのを感じた。ごめんねと何度も囁く懐かしい母の声が何処からか聞こえたようだった。ああ、そうか。お盆だからか。起きたら祖母に電話しようと思いながら、私は崩れるように深い眠りに引きずり込まれていった。
ママ・・・