「神のいたずら」 第四章 両親と優
英語の授業は初めての生徒が多くどこのクラスでもなかなか覚えてもらえないことが多かった。優は碧の理解力に驚かされていた。ひょっとして海外生活をしていたのではないだろうかと思えるぐらいだった。クラスの中では頭抜けていた。
「今日から簡単なあいさつ文のページになります。先生がお母さん役を読みますから、誰か子供の役で読んでくれませんか?間違ってもいいのよ、恥ずかしがらないで。英語は話せることが大切なことですから・・・」
自信が無かったのか誰も手を上げなかった。
「手を上げてくれ無いのね・・・じゃあ、小野さんにお願いしようかな・・・いい?」
「はい、解りました」
「じゃあ、始めます」
初めて聞いた碧の英語の発音はネイティブではないまでも、明らかに流暢であった。クラス全員があっけに取られていた。優は留学の経験があったからもちろん流暢だ。
「ありがとう・・・小野さんはご両親が海外に住んでおられたの?」
「いいえ、そんな事無いです・・・と言うか、すみません・・・記憶が無いんです。英語が話せると言うことは、そういう経験があったのかも知れませんが・・・」
「辛いこと言わせちゃったわね、ゴメンなさい。知らなかったので・・・先生を許して」
「大丈夫です。ここのクラスではみんな知っていますから」
職員室に戻ってきて優は担任の清水先生に碧への気遣いの無さを詫びた。
「前島先生、気になさらないで下さい。あの子は、特別です。ご心配には及びませんよ」
「清水先生もそう思われているのですね・・・ありがとうございます。私も生徒と一緒に学んでゆけることが嬉しいです」
「そうですよ。それが教師冥利に尽きるって言うものですから」
不思議な魅力を感じる碧に優はもっと近づきたいと思うようになっていた。
ゴールデンウィークが過ぎて碧は中学に入って初めての試験を経験した。中間テストだ。国語、英語、数学、社会、理科の五教科で実施された。
達也は碧のことが気になったのか、試験が終わって、あれこれと話してきた。
「碧、どうだった?俺は多分全部出来たと思うよ」
「それって100点取れるって言うこと?」
「まあな・・・楽しみだよ、結果が。そっちはどうなんだ」
「どうなんだって・・・気にならないけど知りたいの?」
「まあな。多分お前が一番だろうけど・・・俺が二番だったらって考えている」
「成績って学校の中だけでしょ?あまり意味無いと思うの。模試とかの結果のほうが自分の能力がわかるよ」
「良く知っているな?塾に行っているのか?」
「行ってないよ。部活終わったら疲れるもの。達也君は行ってるの?」
「いや、まだだよ。親は行けって言うから、たぶん夏休みの補講ぐらいから始めると思うけど」
「そうなの・・・忙しくなるね。逢えなくはならない?」
「なんとも言えないけど・・・これまでのようには遊びに行けそうに無いだろうな」
「・・・じゃあ、夏休みまでに遊びに行こうよ」
「行ってるじゃない。今度だって映画に行く約束しているだろう?」
「そんなんじゃなく・・・ちょっと遠いところに行きたいの」
「どこ?」
「たとえば・・・京都とか、大阪とか、神戸とか・・・」
「無理だよ!お金ないし、親が許さないよ・・・」
「大人の人と一緒なら許してくれるよね、お母さんも?」
「大人の人?たとえば誰と行くつもり?」
「まだ言って無いけど・・・先生と」
「先生?清水先生?」
「まさか!行くわけ無いじゃない。バカね・・・」
「解らないから聞いているんだろう」
「まだ言えないけど、もしいいって言ってくれたら、行こうね?」
「先生と一緒なら、親も許すだろうよ」
碧はひそかにある計画を立てていた。
早苗と約束をしている定期健診の日がやって来た。世田谷にある病院へ碧は一人で出かけた。渋谷まで山手線に乗り、半蔵門線に乗り換えて二子玉川まで行く。
毎月第三土曜日の午前中に早苗に会い診察を受ける事になっていた。この日もいろんな話をして昼前には病院を出た。いつもなら直ぐに帰るのだが、何となく多摩川の土手を散歩して見たくなり、立ち寄ってみた。犬を散歩させている人、小さな子供と遊んでいる夫婦、のんびりと絵を描いている老人、いろんな光景が目に入る。
少し土手に座ってぼんやりとしていると、二人の男の子、見たところ高校生ぐらいだろうか、声を掛けてきた。
「君何処から来たの?一人?」
風になびかせている長い髪は染めているように見えたから、まさか12歳だとは思えなかったのであろう。振り返って、
「何?」
と返事すると、
「なんだ!子供じゃん・・・一人でこんな所にいると危ないよ。早く帰らないと」
笑いながらそう言われた碧はむっとして、
「あんた達が声かけて来たんじゃない!危ないのはあなたの方じゃない?」
そう言い返した。
「生意気な奴だなあ・・・ガキのくせして髪なんか染めやがって」
「染めてないよ!それにガキじゃないし、失礼ね」
「見せてみろよ!ガキじゃない証拠を!どれどれ・・・」
一人の男子が胸を触ろうとしてきた。碧はとっさに足で蹴った。
「何しやがる!こいつめ」身体をつかまれて土手に倒された。足を滑らせて左足首を捻挫してしまった。
「痛いよう!何するの・・・歩けなくなっちゃったじゃない」
もう泣きそうになる声でそう叫んだため、二人はその場から立ち去っていった。
碧はこんな事になるなんて思わなかったから、ショックでその場に座り込んでしまった。左足首がずきんずきんと痛む。様子を見て声を掛けてくれた女性が居た。
「大丈夫、お嬢さん・・・乱暴な子がいるのね。怖かったでしょ。どうしたの?足が痛いの?」
「はい、捻挫したみたいです・・・」
「車が直ぐ下に止めてあるから、そこまで歩ける?手伝うから」
碧はそう促されて痛い足を引きずりながら、駐車場まで歩いた。
「家に帰ればシップ薬があるから、張ってあげるね。車に乗れる?痛くない?病院へ行こうか?」親切に話しかけてくれた。
「乗れます・・・ありがとうございます。病院は今行って来たばかりなので、もういいです。本当にお願いしていいのですか?」
「いいのよ。そう、どこの病院からお帰りなの?」
「大学病院です」
「そうなの!若いのに・・・良かったらどこが悪いのか聞かせてくれる?」
「精神科です。悪くは無いのですが、先生から月に一度はカウンセリングを受けるようにと言われていますので、通っています」
「そう・・・今何年生?家は近くなの?」
「中一です。家は目白です」
「目白?中一?・・・偶然ね。娘は確か・・・目白の中学に今年から採用されたはず」
「娘さんが?ですか・・・お名前なんと言うんですか?私は、小野碧と言います」
「小野さん、碧ちゃんね・・・娘は前島優って言うのよ。私は母親の美江子です」
「前島先生!・・・」
そうか、うっかりとしていた。隼人は優が世田谷の等々力の近くに住んでいたことを思い出した。と言うことは、今から優の家に行くと言うことなのか・・・
三年間の交際をしていたが、家を訪ねたことは無かった。車で来たときは確か家まで送っていたから、知っていたはずなのだが、夜の景色と昼間の景色とでは、まるで違うように感じられた。
作品名:「神のいたずら」 第四章 両親と優 作家名:てっしゅう