新世界
「……帝国では長官に任命されるまで、大将として五年の職歴が必要だと聞いたことがあります。そうなるとこのたび長官となったのはまさか……」
フェイは確認するように一度此方を見て発言した。フェイの言う通りだ。陸軍大将で五年以上の職歴を持つ人間は限られている。
「フォン・シェリング大将が長官となっていると聞きました。ロートリンゲン大将は勿論、フェイ次官も御存知の筈です」
何ということだ――。
ルディは憲兵に捕らわれた。フォン・シェリング大将が軍の指揮権を握っているとしたら、今こそルディを抑えようとするのではないか。否、そればかりではない。フォン・シェリング大将はルディの命すら狙ったことがあるのだから――。
「……ロートリンゲン大将。ロートリンゲン大将!」
フェイの声に傍と我に返った。すぐにフェイの方を見ると、フェイは俺の眼を見つめる。確りしろとでも言っているようだった。フェイはフォン・シェリング大将のことを問うた。
「フリデリック・フォン・シェリング大将は、旧領主層のなかでも一、二を争うフォン・シェリング家の現当主です。彼の姉が現皇帝の弟と結婚したことから、皇帝とは縁戚関係にあります。フォン・シェリング大将は昨今の帝国内の変化を芳しく思っておらず、旧領主の権限を高め、皇室と旧領主層を頂点とする帝国の地盤を確固たるものとするよう奔走しています」
「……フォン・シェリング家と主に争っているのはロートリンゲン家という理解で宜しいか」
フェイが鋭く問う。フェイを一度見返してから、そうです、と応えた。
「旧領主層はその経済力を背景に、それぞれ各部門への支援を行っています。たとえば産業部門――軍需品を中心に支援を行っているのはフォン・シェリング家、開発支援はハインツ家、教育・文化部門はロートリンゲン家、そしてフォン・ルクセンブルク家……。要は旧領主家が投資するということですが、その投資分を利益として取り戻せない場合も多分にあります。多額の負債を抱えて、旧領主家が潰れることもあります」
「旧領主層には特権があると聞いていますが……」
ムラト次官が問い掛ける。ええ、と返事をしてから話を続けた。
「旧領主家には様々な特権が与えられています。しかし、建国から三百年も経てば状況も変わってきます。旧領主のなかには特権を濫用して、利益を増やそうとする者も居ます。そのため、国民は旧領主家に特権を返上するよう求めてきました。そもそも、投資分を取り戻せれば、特権など必要無くなる。そして今残っている家はいずれも損をしていない家です。だから三百年も続いている。ならば特権を段階的に返上するよう、ロートリンゲン家は提案してきました。それに異を唱えているのがフォン・シェリング家です」
「成程……」
フェイは俺を見てそれ以上の言葉を収めた。アンドリオティス長官やムラト長官も気付いたのだろう。
フォン・シェリング大将が軍の実権を握ったということは、ルディの命が危ないのだと言うことを。
「アンドリオティス長官、ムラト次官。帝国が貴国に侵攻してきたら、直ちに作戦部隊を帝国に送り込む――以前、ムラト次官に提示した作戦B案の採用を私は提案します」
フェイは作戦案の話を持ちかける。アンドリオティス長官は少し考えるような表情を見せた。
「……作戦B案は下手をすれば世界を二分する大戦争となる。西側諸国中心に帝国に加担する国も多い。それを考慮すると……」
ムラト次官はB案の採用を渋った。彼が危惧するのも当然だろう。帝国と共和国の対立には、国の制度上の対立も含まれている。君主制対共和制、昨今では共和制に移行する国が多くなったとはいえ、西側をはじめとする大国には、君主制を採用している国家がまだ多い。
アンドリオティス長官はそれまで黙って聞いていたが、この時にフェイの方に向き直って発言した。
「……帝国が侵攻したら、国際会議の召集を呼び掛けます。そのなかで、これは国家制度上の対立ではないこと、我が国が帝国に奪われたシーラーズ以南地域の奪還を求めての復権運動であることを明言したうえでのことであれば、B案採用を支持しましょう」
「国際会議で反対されたらどうなさるおつもりです」
「その点は私が尽力します」
アンドリオティス長官は力強くそう言った。何か秘策でもあるのだろうか――と思ったが、隣に座るムラト次官が、渋面でアンドリオティス長官を見遣っていた。フェイは了解しましたと快く返答した後、具体的な作戦案へと話題を転じた。
アンドリオティス長官の話によれば、ルディとヴァロワ卿は今、窮地に立たされているということになる。ルディは解っていた筈だ。皇帝に逆らえばどういう末路が待っているかということを。それなのに何故、逆らった? 強固に反戦論を説いた?
自らの望んでいた皇太子の地位に立とうとしていた矢先のことではないか。何を考えている? それともこれは何かの策なのか?
「ロートリンゲン大将。十分……いや、五分だけ時間をもらえないか」
二時間にわたる会談が終わり、フェイが席を立とうとした時、アンドリオティス長官は俺を見て言った。ルディに関して何か話があるに違いないことはすぐに解った。フェイを見遣ると、フェイは頷く。
「隣室で待っています」
フェイと同時に、ムラト次官も立ち上がる。二人が部屋から去ってから、アンドリオティス長官はすぐに切り出した。
「……貴卿が国外追放に至った経緯については、全て宰相から話を聞いている。……移動中の四日間で、帝国の話は粗方聞いた」
「……半年程前、兄はマルセイユでレオンという名の新トルコ王国の男と会ったという話を聞いています。やはりそれは貴卿ですか」
何故、ルディが危険を冒してまでアンドリオティス長官を逃がしたのか――。考えるうちにルディの話を思い出した。新トルコ王国が共和制へと移行することをその男から聞いていたのだと、嘗てルディは言っていた。それはこの長官ではないのか。
「その通りだ。私は宰相と……、ルディとは面識があった。お互い、エスファハーンで再会するまで知らなかったことだがな」
やはりそうか――。
ルディはきっと慌てたのだろう。卑怯な手段で捕虜とした人間が、見知った人間だったのだから。
「……それでもよくあの兄が逃がしたものです。自らの立場が危うくなるだろうに」
「本当にそう思っているのか?」
アンドリオティス長官に追求されて、一瞬、言葉に詰まった。この男、解った風な口を利く。
「……兄は権力を手に入れるために奔走している。……今は皇太子という立場が眼の前にある。それをむざと手放すとは思えない。何か魂胆が……」
「では貴卿に聞こう。ルディと共に三日間移動したと私が話した時、何故君は動揺した?」
この男は俺に何を求めているのか――。
「……驚いただけのことです」
「ルディの身体のことを案じているから動揺したのだろう。……ルディは貴卿のことを心配していた。心を痛めていた。貴卿とて解っている筈だ。ルディは確かに権力を欲したのかもしれない。それでも、本当にルディが欲しているものは何か、そしてそれを阻んでいるものは何か――」
「……私にそれを言いたかったのか。貴卿は」