新世界
おまけにそんな戦法を指揮しているのは――、帝国軍の総指揮を執っているのは、ルディだという。共和国の長官を捕虜とした場には、ルディの他にヴァロワ卿も居たと聞いている。あの二人ならば、その気になれば、新トルコ共和国を乗っ取ることも容易に成し遂げられた筈だ。シーラーズを攻略出来たのなら、補給地の確保が出来たということになる。それを足がかりに首都に侵攻すれば良い。
ルディやヴァロワ卿がそれを考えつかない筈が無い。それなのに何故、長官を捕虜とするだけで停戦したのか。おまけに、長官以外の捕虜は全員解放したと聞いた。
あまりに不可解だ。
何故だ――。
そうなると、やはりルディは、皇帝の命令で仕方無く戦ったのではないか――。
その結論に至ってしまう。しかしその考えを何度も追い払った。ルディは自分自身の、皇太子という地位を得るための土台作りをしているのだと考えようとした。
だが、戦闘の状況を知れば知るほど、それを否定せざるを得なかった。
そんな折、フェイが新トルコ共和国に赴くことが決まった。ムラト次官と会談するのだという。その時はまだ共和国の長官は解放されていなかったが、来るべき再戦に向けて大まかな作戦案を打ち合わせておくために、会談の場が設けられたらしい。
『一緒に行かないか? ロイはムラト次官とは面識があるのだろう。今のうちに、ロイの存在を少し仄めかしておきたい』
『良いのか? 亡命者の俺が他国に入国しても』
『特別申請を出しておけば問題無い。それにあちらの上層部には、お前のことを話すつもりでいた』
フェイはそう言っていた。会談の席で少し紹介をするだけの予定が、昨日になって状況が変わった。
『たった今、ムラト次官から連絡があったのだが、アンドリオティス長官が戻って来たらしい。ロイ、ちょうど良い機会だ』
フェイの策士な一面は今に始まったことではないが、終戦後の細部にわたることまで既に計算しているのだから呆れる。フェイは今回の帝国との戦いに負けるとは毛頭考えていない。そもそも、この男は負ける戦はしない。どのような手段を使ってでも、勝利を追い求める。フェイのやり方が冷徹だと言われるのはそのためだろう。
今回のことも一見すると俺を利用しているように見える。だが、フェイと生活を共にするなかで解ったことだが、この男は他人を貶めて利益を追求するような人間ではない。どちらにも利益がわたるように最大限に配慮をする。今回も俺を表舞台に出す好機だと捉えているのだろう。俺自身、この先ずっと身を隠して生きるつもりは無かった。
表に出る好機と同時に、新トルコ共和国のアンドリオティス長官には興味はあった。噂でしか知らない人物で、海軍長官を務めていた時も一度も顔を合わせたことが無い。何度かアンドリオティス長官と顔を合わせたことのあるフェイによると、トップに据えるにはちょうど良い人物だと評していた。
『あそこの軍は数年前までいざこざが絶えなくてな。最終的にそれまで軍の一大勢力だった保守派が破れて、若手中心の進歩派が権力を握ったのだが、その折に進歩派が長官として擁立したのがアンドリオティス長官だ』
性格は温厚で実直、そのため上からも下からも慕われている。掴み所の無い人物だ――とフェイは言っていた。
『上層部にいる者など二面性のある者ばかりだが、彼に関してはまったく人が良いというか……。残存した保守派も彼ならばということで、反旗を揚げるのを止めたとも聞いている。そういう人格から出世した人物かと思いきや、頭が良い。共和国の軍部のブレーンと言われているムラト次官に一歩も引けを取らないぞ。話してみれば解る』
そうした人物像にも興味をそそられたが、何よりも俺を驚かせたのは帝国から生きて戻って来たということだった。捕虜となりながら、よく無事で生還したものだ。
そのアンドリオティス長官が、今、俺の眼の前に立っていた。策士という雰囲気ではない。フェイの言った通り、温厚そうな男で、実直な印象を受ける。フェイが俺のことを紹介する前から、彼は俺を見ていた。
「アンドリオティス長官には初めてお目にかかります。ハインリヒ・ロイ・ロートリンゲン大将です」
確か俺よりひとつ年上だった。ルディと同年ということになる。背は俺と同じぐらいだろうか。
「新トルコ共和国軍部長官、レオン・アンドリオティス大将です。此方こそ初めてお会いする」
彼と握手を交わしてから、ムラト次官にも挨拶をすると、ムラト次官は未だ驚きを隠せない様子で俺に言った。
「ロートリンゲン大将。まずは貴卿の事情をご説明願いたい。何故、貴方がアジア連邦で客将となっているのか……」
俺が入室した時、ムラト次官は酷く驚いていた。無理も無いことだ。まさか、アジア連邦に俺が居るとは予想もしていなかっただろう。
「私は帝国を追放され、ビザンツ王国に一時渡りました。そのビザンツ王国でフェイ次官と偶然にも出会い、アジア連邦に亡命したうえで、こうして軍に身を置いています」
簡単にかいつまんで説明すると、フェイが加えて言った。
「ロートリンゲン大将の評判はアジア連邦でも知れ渡っています。帝国が彼のような人材を国外追放したというのは真に遺憾なこと……。彼の能力を惜しみ、我が国で客将として招き入れました」
驚かせてしまって申し訳無い――と、フェイは二人に向かって言った。まったく心にも無いことを言う。フェイは、本当はこの状況を楽しんでいる筈だった。二人の――、特にムラト次官の驚く顔が見たいと言っていたのだから。
「フェイ次官。このようなことを言うべきではないのだろうが、ひとつだけ確認しておきたい。宜しいか」
ムラト次官は椅子にかけ直して、フェイを見つめた。嘗てルディに釘を刺したように、フェイにも釘を刺すつもりだろう。言葉こそ穏やかだが、ムラト次官は言うべきことははっきりと言う。
「ロートリンゲン大将を客将として迎え入れたのは、戦後、アジア連邦にとって都合の良い帝国を創設するつもりではないでしょうな」
俺も一度はその点を考えないでもなかった。確かにフェイは策を弄する人間だから、そうしたことも全て計算の上だろう。しかしフェイの俺に対する扱いは、どうもそれだけでは説明しきれないこともある。
ムラト次官の質問にフェイは何と答えるだろう――。
「ムラト次官も御存知の通り、我が国と帝国との仲はさほど良好なものではありません。一触即発の事態とならないのは、我が国と帝国とは物理的な距離があるということと、貴国のように緩衝材の役割を果たす国があってのことです。かといって、我が国に帝国と友好関係を結ぶ準備が無い訳ではない。むしろこれまでも何度か協議を行ってきました。具体的に言うと、貿易の円滑化のために関税率の引き下げを提示してきましたが、帝国は応じなかった。我が国が戦後の帝国に望むのは、他国と対等に共存出来る関係を築く国家となることです。それは貴国にとっても有益なことと思いますが?」
「……ロートリンゲン大将は賛同しているのか」
ムラト次官は俺を見遣る。この人も策士ではあるが、どちらかというとヴァロワ卿に似ているような気がする。