新世界
「借りた……? 一体誰から……」
その時、ハサン大佐が拳銃を持ってやって来る。帝国のものではないか、とムラト大将は眼を見張って言った。
「私を逃がしてくれた人物が貸してくれたものです」
詳細はあとで話します――そう告げると、ムラト大将は頷いて、このまま本部に戻る旨を告げた。部屋を去る間際、ムラト大将はハサン大佐の前で立ち止まった。ムラト大将がいつもより高圧的に見えるのは気のせいだろうか――?
「このような非常時に、たとえ上官に召集を受けたとはいえ、国境警備の任にある者が部署を離れるとはけしからん。支部長には後で話があると伝えておいてくれ」
「は、はいっ」
ムラト大将はきつくそう言い放ってから、俺達を促して部屋を後にした。ハッダート大将とはまだ話の途中だった。しかし、ハッダート大将も忙しいようで、本部に戻るなら俺も部署に戻る――と言った。
「シャフィーク。レオンが戻って来たからすぐに将官級の会議を開く。出来れば視察を切り上げてこのまま本部に来て貰えるか」
「ならばそうしましょう。部下に連絡をいれてきます」
「先に機内で待っている。レオン、テオ、行こう」
マスカット支部に入った時とは違い、今度はこの支部の全員が敬礼して見送る。手のひらを返したような対応の差に、不謹慎だが苦笑しそうになった。しかし考えてみれば、軍服を纏っていたとはいえ、国境からいきなり捕虜がやって来て、長官だと名乗れば無理も無いことか。
支部の裏手に待機していた専用機に乗り込み、後ろを歩いていたテオが入口を閉める。それから兄さん、と呼び掛けてきた。顧みると、テオは悲しげな眼で俺に言った。
「兄さん。祖母さんが倒れたんだ」
「え……?」
祖母さんが倒れた――テオの一言に、驚いて、ただただテオを見つめ返した。
「兄さんが捕虜になったというニュースを見て、その翌日に倒れて……。今、入院してるんだ……」
「倒れてって……。容態は?悪いのか!?」
「一時危険だと言われたんだけど、今は小康状態に。心配は要らないって祖父さんが言ってるけど……」
俺のせいで、祖母さんが――。
何も言葉にならない。祖父は少し身体が弱いが、祖母は至って元気だった。今迄倒れたこともない。その祖母が――。
「レオン。今日は一度本部に顔を出したら、テオと共にそのまま病院に直行しろ。お前の顔を見れば、祖母さんも安心するだろう」
まさかそんなことになっているとは思わなかった。俺のせいで祖母が倒れてしまうなんて――。
「そうさせてもらいます……。祖母を見舞ってきたらすぐに本部に戻ります」
「いや、お前も疲れているだろう。今日はいいから休め。此方も話したいことは山程あるからな」
程なくして、ハッダート大将が機内にやって来た。機内に控えていた大佐が全員乗り込んだ意をムラト大将に伝える。ムラト大将はすぐに離陸を求めた。
「宰相がお前をリヤドまで……?」
帝国での収容所のことを手短にムラト大将に伝え、その収容所からこのマスカットまでどうやって来たのかを説明した。俺の解放に、宰相が関わっていると告げた時、ムラト大将も驚いて問い返した。
「ええ。私に取り付けられていた起爆装置を解除したのも彼です。収容所を脱走する時には彼のIDでゲートを開放してくれました。それから、三日かけ彼の車でリヤドまで移動し、リヤドからマスカットへは徒歩で山をかきわけて進みました。リヤドまでは憲兵達に見つかることはなかったのですが、山中で待ち伏せされ、その時に彼は私を庇い、マスカットに行かせてくれました」
ムラト大将は成程と少し考え込むように視線を落とし、再び俺を見て言った。
「……お前が捕虜となってから、ずっと宰相と交渉を続けていた。南部地域の割譲を議会で何とか了承を得て、宰相とお前の解放に向けて協議が進んだところで、急にヴァロワ長官から交渉中断を宣言された。妙だとは思ったのだが……」
「ムラト大将、宰相から聞いた話ですが、ヴァロワ大将は今は長官を解任されています」
「どういうことだ……?」
「交渉を取り止めるように告げたのは皇帝です。それは反戦論側に立つ宰相を抜きにした場で表明され、異を唱えたヴァロワ大将は一時的に長官を解任されたようです。今はフリデリック・フォン・シェリング大将が長官を務めている筈です」
「……最悪な人事だな」
ムラト大将とハッダート大将は口を揃えて言う。二人ともフォン・シェリング大将とはとある会議の場で面識がある。会議終了後にその様子を俺にも語ってくれたが、他国を見下すような人物であったらしく、良い印象を受けなかったようだった。
「長官をヴァロワ大将からフォン・シェリング大将に交替させた時点で、帝国の将来は暗いな。ヴァロワ大将も災難なことだ」
軍内部での粛正が行われるかもしれんぞ――とハッダート大将は付け加える。その通りかもしれない。共和国でも軍が保守派と進歩派の二派に分かれた時、一時、同じような状況となったのだから。
「ヴァロワ大将は宰相と私の逃亡を知っていました。知った上で、逃がしてくれました。宰相には亡命するよう告げたのですが……」
「宰相は来なかったのだな……?」
「リヤドとマスカットの国境線まで一緒でしたが、彼は宰相としての務めがあるとそう言って帝国に残りました。私が国境線を越えた後、背後から発砲音が聞こえました。威嚇発砲だから行けと宰相は言いましたが……、私は彼を引っ張ってでも連れて来るべきでした」
ルディの安否が気になる。上手くやると言っていたが、皇帝を相手に正論を述べても権力を振り翳されたら、ルディには手立てが何も無くなってしまう。何とかルディを助ける方法は無いものか――、ずっと考えていた。
「……宰相は最後まで皇帝に望みをかけたのだろう。そうか……。帝国はやはり二分しているのか……。しかもレオンの話だと相当捻れているな」
「ええ……。帝国に対して疑問に思っていたことを尋ねたら、宰相は全て話してくれました。そのうえで、彼は私に外部圧力によって帝国を変えてほしいと……。共和国とアジア連邦、北アメリカ合衆国と共に、それが成し遂げられる筈だ。国際会議に訴えて、帝国の暴走を止めてほしい、と……」
「……やはり宰相は同盟に気付いていたか。帝国には惜しい人材だな」
「……私もそう思います。そして彼と同じ意志を持つヴァロワ大将も……。彼等は最後まで帝国において反戦を訴えるつもりでしょう。ですが、皇帝の前で強固に訴えたら……」
ムラト大将は頷く。帝国とはそういう国だ、と低い声で言った。
「上手くやると彼は言っていましたが、気にかかります。マスカットに入ってからのあの発砲音も威嚇発砲にしては鈍い音で……。もしかしたら彼に当たったのではないかと……。それに皇帝が裏切りとも取れる行為に及んだ彼を許すかどうか……」
「……難しいだろうな」
ムラト大将は何か考えているようだった。ハッダート大将やテオに問われるまま、マスカットまで辿り着くまでのことを語るうちに、専用機は新トルコ共和国中央官庁――旧王宮近くの広場に到着する。
まだ俺が国に戻ってきたことを公表していないため、騒ぎになるのを避け、其処から車で移動し、旧王宮の裏口を通って軍本部に入った。