新世界
その応接室のソファに腰を下ろし、まずハッダート大将に状況を問う。良い話は何も無いぞ、とハッダート大将は前置いてから言った。
「国境付近はいずれも緊張状態のままだ。まだ戦時中だからそれは仕方が無い。……だが、問題は内部で、議会がお前とムラト大将の辞任を要求している。エスファハーンに行ったお前の行為が、長官にあるまじき行為だとな。それを了承したムラト大将も同じく責任を問われているということだ」
「……私の辞任は仕方無いとはいえ、ムラト大将まで……」
「現段階での辞任は考えていないと、ムラト大将は先日、議会で表明した。戦争が終結し、全て解決してから責任を取る、とな」
「そうですか……」
「だが、軍にとってはお前とムラト大将に辞任されると困る。後任となる適当な人材が居ないからな。その辺のことは今、他の将官達と打ち合わせているところだ。具体策として出ているのが、留任嘆願書を議会に提出するということだ。何せこの状況下だ。議会も内部の混乱を避けたい筈だ」
「しかし議会の意見も尤もなことです。私の判断ミスでバース中将やギラン中将を犠牲にしてしまった……」
「バース中将やギラン中将は確かに残念だったが、お前がこうして無事であったことに天国で安堵しているだろう。それにレオン、俺はお前のおかげで捕虜とならずに済んだのだぞ」
ハッダート大将は組んでいた足を解いて、俺にそう言った。
「俺はエスファハーンに帝国軍が侵攻したという報告を受けて、すぐにシーラーズから撤退してきたんだ。そして、支部から少し離れたところで戦っていた。……が、この通りその際、腕を負傷してしまってな。俺と行動を共にしていた少将も負傷し、帝国軍に取り囲まれ、一時捕虜として拘束された。ところが、一時間も経たないうちにその場で囚われていた全員が解放された。宰相命令が出たと帝国軍が騒ぎ出してな。後から詳細を知って驚いた」
「御無事で何よりでした。あの時、ハッダート大将の消息が解らなかったので、心配していました」
ハッダート大将は首を横に振り、済まないと頭を下げる。ハッダート大将が謝ることは何もありません――と言おうとすると、ハッダート大将は俺の言葉を制して言った。
「支部に戻ろうとしたが間に合わなかった。お前の提案をはじめから受け入れていれば、エスファハーンは守りきれただろう。そのことをずっと悔やんでいた。本当に済まない」
「ハッダート大将に非はありません。私の判断ミスです」
「だがレオン。お前がそうやって責任を負って辞任するとなると、ハリム少将やラフィー准将が自分達にも責任があるといって辞職しかねんぞ。一昨日、将官級の会議が設けられたのだが、その場であの二人がどれだけ、自分達の責任だと頭を下げたと思っている? 自分達こそ捕虜になるべきだったと、酷く後悔していた」
ハリム少将とラフィー准将が、必死に俺を止めた時のことが思い返される。二人のことを尋ねると、本部に戻ったとハッダート大将は教えてくれた。ラフィー准将の怪我も軽傷だという。
「俺も怪我を負ったがこうして動くことが出来る。今日も国境付近の視察をしていたところだ。ちょうどこのマスカットの近くを通りかかった時、長官を名乗る者が国境を越えて現れたと報告を受けてな」
「それで到着が早かったんですね」
「まあな。……ところでレオン、勇猛果敢なお前のことだから、相手の隙を見て逃れてきたのだろうが……」
「私一人の力ではありませんよ。私はずっと帝都の収容所に収監されていました。尤も収容所といっても、人道的な扱いを受けていました。不自由なのは収容所の部屋から一歩も外に出られなかったことだけです」
ハッダート大将はお前の姿を見れば解る、と頷いて言う。
「ムラト大将が言っていたことだが、宰相とヴァロワ陸軍長官に囚われたというのなら身の安全は保証されている筈だとな。俺は半信半疑だったのだが……。帝国のことだから、拷問にあっているのではないかと」
「そうしたことは一切ありません。メディカルチェックと生体データを取られ、簡単な取り調べを受けてからは、ただ部屋に閉じ込められていただけです。その部屋も綺麗な部屋ですし、食事もきちんと提供されていました」
「そのようだ。お前の姿を見た時、まずそのことに安心した。警備も緩かったのか?」
「いいえ、収容所では脱走すれば起爆する小さな装置を付けられていました」
「ではどうやって……」
「ハッダート大将。その起爆装置を外してくれたのも、収容所に居る間、配慮してもらえたのも、こうしてこの国に戻ることが出来たのも、全て宰相のおかげなのです」
「宰相の……? どういうことだ。それは」
部屋の外が急に騒がしくなって言葉を止める。マスカット支部の支部長は何処に居る――と声が聞こえて来た。この声はムラト大将の声だった。
「来たようだな。流石に専用機だと早い」
ハッダート大将が立ち上がる。俺も同じように立ち上がった。ハッダート大将の話では、ムラト大将とテオが来る筈だ。
ハッダート大将が扉を開け、ムラト大将と声をかける。シャフィーク、とムラト大将がハッダート大将を呼ぶ声が聞こえ、それからすぐにムラト大将が姿を現した。
「レオン……!」
良かった――と、ムラト大将は安堵を露わにして言った。ご迷惑をおかけしました――そう告げると、無事で何よりだと俺の肩を抱く。
ムラト大将から一歩下がったところにテオが居た。テオは瞬きもせず此方を見ていた。
「テオ、お前にも心配をかけた」
「兄さん……」
ムラト大将は気を利かせて離れ、同じく部屋に入ってきた大佐の許に歩み寄る。その間に、テオの側に歩み寄り、俺はこの通り無事だ、と告げて肩を抱き寄せた。
「良かった……。捕虜になったと聞いてずっと不安で……」
「済まない」
テオの身体は震えていた。心配してくれていたのだろう。だが何か、俺に言いたいことのあるような表情をして俯く。テオ、と声をかけるとテオは首を横に振った。
一方、ムラト大将は大佐と大佐の側に居た医官に席に着くよう促し、そして手に携えていた封筒から書類を取り出した。俺の生体データのようだった。
「支部長不在というのが気に入らんが、今、この支部のなかで最上級の者は君だな?」
「はっ。支部長はハリール大将から召集を受けて出張しておりまして、本日は此方に戻ることが出来ません」
「まあ良い。これが長官の生体データだ。この場で医官に照合のうえ確認してもらう」
先程、俺の生体データを採った中年の医官が、ムラト大将から渡された書類を片手に、照合を行う。全てにおいて何の問題も無かったようで、十分程でそれは終了し、医官は生体データからも間違いは無い旨を告げた。
「ではこれで証明はされたな?」
「はっ。大変失礼致しました」
大佐は立ち上がると、俺に向かって最敬礼する。身許が証明されたのなら構わないだろうと思い、彼に言った。
「ハサン大佐。私が此処に来た時に持っていた拳銃があっただろう。あれを返して貰えないか」
「はっ」
ハサン大佐はすぐに部屋を出ていく。拳銃など持っていたのか――とムラト大将が尋ねた。
「ええ。私のものではなく、借り物なので、今度会った時に返さなくてはならないものです」